【第398回】 一(いち)をもって万(よろず)を

合気道は気形の稽古を通して、宇宙の法則に則った技を身につけ、練磨していく。合気道は武道であるが、武について「天の規則を地上に打ち立て、人が行って、まず自己をこしらえ、万物を守るのが武の掟である」(「合気真髄」)といわれている。

人が地上に打ち立て、行ない、自己をこしらえる「天の規則」は無限にあるだろうから、それを一人の人間が一生の内に身につけることはできないことだろう。だから、「天の規則」を地上に打ち立て、行なっていくことを、人類が存続するかぎりやっていかなければならないことになる。

気形の稽古で無限にある「天の規則」を見つけ、身につけていくわけだが、無限にあるのだから、どんなにがんばっても無理だからとか、一つ二つぐらい身につけても意味がないのではないか、等と思ってしまうではないだろうか。

しかしながら、「天の規則」、宇宙の法則であれば、たとえ一つでも大いに意味があるはずである。なぜならば、その法則は天、宇宙の法則だから、絶対性と普遍性があるわけで、すべての気形に有効であるからである。つまり、その規則を四方投げで見つけ、身につけたとすれば、それは他の気形である入身投げや、一教、小手返し・・・と、全てに有効ということである。

つまり、一つの発見は万(よろず)の気形に有効であるから、一が万に通じることになる。無限の宇宙分の一であっても、その一は無限の宇宙に結びつくわけであり、宇宙規模の偉大な発見であり、行ないなのである。

一つ一つの天の規則を身につけていくことが、武の合気道での修行法であると、開祖は次のようにいわれている。
「修行方法を一言すれば、武は体の変化の極まりなき栄の道ならば、一をもって万(よろず)にあたる道、一より方法を生き開く草薙の剣を練り、その責を完遂、達成せしむることになる」(「合気真髄」)。

それでは、何が「天の規則」、宇宙の法則なのか、が問題になるだろう。学校の試験問題のように正解があるわけではない。しかし、厳然としてあるはずである。

上記の開祖のお言葉からは、万に通じる一こそが天の規則、宇宙の法則ということになる。

つまり、気形がかわろうと、相手が誰であろうと、変わることがない万につながる一つを見つけ、身につけていかなければならない、ということである。従って、その一が万に通じ、有効性を確認するために、いろいろな気形の稽古をし、いろいろな相手と相対で稽古することになるのである。