【第389回】 悟りの稽古

勝負のない合気道の相対稽古で陥りやすいことの一つに、稽古を長く続ければ続けるだけ上達すると思って稽古をしていくことである。結論から言えば、長く稽古をするだけでは上達はないはずである。勿論、初めのうち、つまり基本の技(正確には「形」)を覚える2〜3年は、稽古をやるだけ上達ということになるが、5年、10年となるとそれまでの稽古法では上達は止まってしまうものだ。

合気道は形稽古で基本技の形を繰り返し稽古をしていくが、その形(例えば、正面打ち一教)でその形を知っている相手を倒すことは基本的にできないのである。相手が倒れてくれるのは、相手が弱いか非常に素直であるだけのことである。もし、相手が頑張ったら、形ではなかなか倒すことはできないものだ。

相手を倒すためには、相当の呼吸力と技をつかわなければならないはずである。
稽古はその呼吸力が少しでも強力になるよう、そして宇宙の法則に則った技を身につけるようにやらなければならない。

合気道の技は宇宙の条理、宇宙の法則に則っているものだから、気の向くまま、適当にやっても身につかない。意識してやらなければならない。理合と法則に則るように意識するのである。
例えば、片手取り呼吸法で自分の手は、折れ曲がらないよう指先まで気持ちを通し、肩を貫いて指先と腰腹を結び、結びが切れないようにして、手の平を縦に立て、相手に掴ませる。そして、手の平を縦→横→縦→横→縦と90度づつ反転していく。足は撞木で右、左、右、左とつかい、その上に自分の体重を乗せていく。足(足首、膝)だけでなく、股関節(腰)と胸部も十字の円の動きをするようにする。息も縦(腹式呼吸)→横(胸式呼吸)→縦とつかわなければならないはずである。

この例の呼吸法でも、少なくともこれだけの事を意識して稽古し、身につけていかなければならないはずである。どんなに才能がある稽古人でも、一度には身につかないから、試行錯誤しながら少しずつ身につけるようにしていかなければならないだろう。間違ったり、止まったり、考えたりして調子が狂うこともあるだろう。何があるかわからないが、初めは意識して、理に合い、法則に則った稽古をしなければならないと考える。

意識を入れてやるから技を感じ、自分を感じ、相手を感じるのである。そして行く行くは宇宙を感じるようになるのだろう。

合気道は基本技を稽古年数や上手下手に関係なく、永遠に続けていかなければならないものである。入門当初は難しいだろうが、基本技の形をある程度わかったら、次は技を意識して、理に合うように使って、稽古をしなければならない。意識を入れて稽古できるようになれば、あとは長く続けるだけである。

しかし、いつまでも意識したり、頭で考えながらやることを、続けていればよいのではない。次のステップに進まなければならないのである。つまり、それ以前には意識してしかできなかったことを、意識しないでできるようにならなければならないのである。もちろん、無意識でやっても、宇宙の法則、理に合っていなければならない。

ある技が無意識で理合の合気が使えるようになったら、全ての技(の形)を一度は意識してやり、さらに無意識でもできるようになるように、鍛錬すべきだろう。そうすれば、新しい技や応用技も、身につけた法則で使えるようになるはずである。

意識しないでもできるように、まずは、意識してやらなければならないのである。