年を取るということには、悪いこともあるようだが、よいこともある。悪い方は体験する人が多いだろうから、説明は必要ないだろう。興味あるのは、よい方である。
これにもいろいろあるが、ここでは、年を取ってはじめてわかるという例を挙げてみよう。それは、若いころに見えなかったものが、見えるようになってくることである。もちろん、若くてわかってしまうような人もいるだろうが、それは例外だろう。
現代は物質文明、物質科学の世界である。それはモノ、見えるモノで、物事を評価する世界である。それ故、モノを得ようとしたり、見栄えを良くしようと考える。そうすると、少しでも多くモノを得ようとし、他人よりよくなろうとか、他人よりモノを多く獲得しようとして、そのために争いが起こることになる。
開祖は、この物質科学の世界のままでは争いが絶えないので、そろそろ精神科学の世界に変えていかなければならない、といわれている。合気道では、モノ(魄)に頼らず、心(魂)の力を養い、世のために尽くし、生成化育のお手伝いをしていかなければならない、というのである。つまり、見えるモノに頼らずに、見えないものでやらなければならない、ということだろう。
もちろん、合気道は武道であるから、ある程度の魄力は必要である。ある程度の魄力がついてきたら、今度はその魄力の上に、魂力(精神力、心の力)を養成していかなければならない。
旧約聖書に「人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」(サムエル記上) 16章7節)とある。主(神)は心によって人を見るのであって、容姿、背の高さ、年齢、また、家柄、財産、学歴、職種等などで人は見ない。つまり、主(神)は、人を見る場合、その人の表面を見るのではなく、その人の心を見る、ということである。
人が神と同じように心を見ることができて、実際に心で見るようになると、物質科学の世界は精神科学の世界に変わり、争いのない、よい世界に一歩近づくはずである。是非、そうありたいものである。
では、どうすれば心でモノが見えるようになってくるのかを考えると、まずは、次のようなことを悟ることであると考える。