【第382回】 武

合気道は武道である。合気道の他にも、柔道、剣道など武道はある。一般に「武」とは、「鉾(ほこ)を止める」という意味であるといわれている。相手の武器や素手による攻撃を防ぐ、という意味であるだろう。

しかし、合気道での「武」は、これとはかなり違うようである。合気道の開祖、植芝盛平翁は、「武は確かに鉾(ほこ)を止めるということではあるが、全身心の中にすべての武気が喰い入りくい止まっているということであり、それは魂の中に鉾を止めるのである」といわれるのである。

今回は、開祖の『武産合気』の文章を基にして、武を研究してみたいと思う。

翁先生(開祖)は「汚れたものを祓い淨める。それが武である」、また、「障害、汚濁を取り除くことが、武の動きである」といわれている。

いかなるものも、新陳代謝が滞れば、穢れてくさってくる。くさらないようにするのが武の動きであり、穢れれば淨めなければならない。

人の体や、四季、万有万物、国、社会など等にも、新陳代謝は必要である。穢れて腐らないように、武が必要なのである。武は穢れれば淨める故に、武は愛を守る生命である、とも開祖はいわれる。

「液体の世界には液体の武があり、障害があればこれを除く。人体でいえば血液の血行。障害が出たならばそれを取り除く。すると血液はきれいになり健康になる。障害、汚濁を取り除くことが、武の働きである」という。

人生にも武気がある。新陳代謝が滞れば、穢れてくさってくる。「ものというものが主となると、気が停滞する」からである、という。くさらぬようにするのが、武の動きである。穢れれば、淨めなければならないのである。

また、武は智・勇・親・愛という魂の動きになり、天火水地と十字の形になる。「これは地上経綸の姿、一元の神の情動の姿であって、宇宙の営みの実態である」というのである。つまり、「霊の働きも、すべての一元の大神の情動も武ならざるはない」のである。

合気道は武をもって、まず己の血液を淨め、筋肉・肉と骨の障害や汚濁を取り除き、また、稽古相手や仲間のそれらの障害や汚濁をも取り除いてやる。次に、社会や国や世界の障害や汚濁を取り除いていく。また。開祖のような方は、顕界だけでなく、幽界や神界の汚れを淨めていくことになるのだろう。合気道には、障害や汚濁を取り除き、汚れを淨めていくという、武の使命があるということである。

「武がなければ国は亡びる。即ち武は愛を守る生命だからである」とも開祖がいわれているように、合気道で武を身につけ、宇宙生成化育のお手伝いをして行きたいものである。