【第38回】 誰とでも稽古できる

道場で稽古をするとき、やり易い相手とやり難い相手がいる。一般的には、自分より段位が下の人とはやり易く、段位が高い人とはやり難い。お互いに頑張らずに素直に受けを取り合っていればどちらも同じであるが、自分よりも高段の相手が頑張ってくると、思うように倒したり押さえたりができなくなる。

合気道では争ってはいけないと教えられているが、お互い一生懸命稽古すれば時には頑張り合いになり、争いの稽古になることもある。逆にいうと、初心者や若者が争いになるぐらいの稽古をしていないということは、稽古を一生懸命やっていないということになるかもしれない。

しかし、高段者や年配者が争うような稽古をするのは感心しない。長年稽古をし、生きてきたのだから、十分争いの経験があるだろうし、その悲哀が分かるべきである。この年齢からは、争いにならない方法を会得していなければならない。

争わないというのは、逃げることではない。争う寸前のところまでは気と体をぶっつけ、相手とぶつかったところでぶつからないようにし、相手の行きたい方向に導いてやらなければならない。
パワーでやれば力比べとなって争いになり、パワー、体力のあるものが勝ることになる。

技をかけるときは、合気の力を使わなければならない。合気の力には、人間のDNAに働きかける不思議な力があるようである。
合気の力が使えるようになれば、稽古相手が誰であってもあまり関係なくなってくる。しかし、合気の力が万能でどんなパワーのある巨体でも争わずに制することができるわけではない。合気の力の大きさに比例して、対するパワーを制することができるだけである。従って、合気のパワーを見つけて、身につけたら、今度はそれを増大し、質の向上をはからなければならない。それが稽古となる。

合気道は引力の養成といわれる。合気の力には、相手と結ぶ引力がなければならないということである。パワーがある相手と稽古すると意外とくっ付きやすいし、崩しやすいが、パワーが弱い高齢者や女性とむすぶのはなかなか難しいものである。超人的なパワーがある人や、パワーが極端にない人、こどもなどとは、気を合わせるのはなかなか難しい。このような相手と稽古をして、気結び、引力の養成をしていくのが稽古であろう。そのためには自分の苦手の相手と意識して稽古をするようにし、誰とでも結びの稽古ができるようにしなければならないだろう。