【第377回】 自分を信じる

誰でもそうだろうが、長年、合気道の稽古を続けていると、いろいろなことがある。病気や怪我など誰でも経験することであろう。病気や怪我は、どんなに注意しても避けることが難しいものであろうが、大事なことは、病気や怪我にどう立ち向かうか、稽古とどう関連づけるのか、ということである。

一般的には、病気になれば病院に行き、怪我をすれば手当をして安静にするわけである。ただ、稽古している者は、病気になったり怪我をしても、なるべく休まず稽古を続けたいと思うだろう。しかし、無理に稽古すれば、ますます悪化するか、再発するかも知れない。稽古をやるべきか、休むべきか、いつ再開すべきか、などを考えなければならないことになる。

武道家として、病気や怪我の対し方を考えてみたい。
まず、具合が悪いとか、痛いというのは、体からの有難い警告である、ということを認識する必要がある。今までやっていたやり方では駄目ですよ、そうやってきたから痛いのですよ、やり方を改めなさい、という警告なのである。ありがたいことである。もし、痛みなどによる警告がなければ、倒れるまで気がつかないだろうし、倒れてはじめて気がつくことになる。文句をいうどころか、感謝すべきであろう。

合気道の稽古を続けていれば、怪我はつきものではないだろうか。特に、若くて元気な時は、そうだろう。私の場合もそうだった。かつては坐り技の稽古が多かったので、膝の皮がむけたり、腫れたりした。両膝同時ということはなかったが、片方が治ると反対側が痛くなり、左右交互に痛めていた。

手も、二教や三教で絞められて、いつもどこかが痛かったものだ。痛みはふしぎなことに、手先から肘、肩と、体の中心に向かって移動していったようで、肩までくると痛みを覚えないようになっていた。

しかし、若いころは元気で体力もあっただろうから、痛みを苦にはしてなかったし、体のどこかに痛みがないと、生きているという実感が持てないように感じていた。

風邪を引いてふらついていても、たいがいは稽古したが、なんでも稽古で治ると思っていたものだ。確かに、たいていの風邪は稽古で吹っ飛んだが、一度だけ、稽古途中でふらつきそうになって、稽古を中断し、更衣室でちょっと横になって休んだこともあった。それからは、あまりひどい時は稽古を控えるようにした。お陰で、自分の限界が分ったわけで、その経験をしてよかったと思っている。

風邪などの軽い病気や怪我で、稽古を続けるかどうかの判断基準は、その怪我や病気が、稽古してよい方向に向かっているかどうか、である。稽古をやることによって、たとえ腕が痛かろうと、肩が動かなかろうが、少しでもより回復する傾向にあれば、続けるのがよいと思う。

また、腕が痛くて上がらないとか、肩が動かなくても、「体をつくる」の第377回『第二・第三の手』で書いたように、第二・第三の手を作るための試練と思えれば、我慢して稽古を続けられるだろう。

もちろん、この判断は間違いで、ますます悪化を助けているのかもしれない。医者に行けば、おそらくそういう診断を受けるであろう。

しかし、武道家であれば、そのようなリスクは覚悟しなければならない。自分を信じ、自分の判断を信じて、稽古を続けていくしかないだろう。失敗しても自分で判断したことだから、諦めもつくだろう。