【第376回】 高齢者の稽古

合気道の修行には、終わりということはないわけだが、多くの高齢者は諸事情によって、早々に引退せざるを得なくなるものだ。長年稽古をしてきても、若い時と違って、年を取るに従い稽古はきつくなってくるだろう。若い頃のように、息を弾ませながら、跳んだりはねたりすることはできなくなる。

誰でもなるべく長く稽古したいと思っているだろうが、年を取って、だんだんと道場から足が遠のき、そして遂には止めてしまうことになることも多いようだ。

人には事情があるから、それもその人にとっては自然な成り行きなのだろう。とはいえ、なるべく長く稽古を続けたいものであるが、ではどのような稽古や心構えをすれば、少しでも長く稽古が続けられるのか、を考えてみたい。

年を取っても長く続けられるためには、ケガをしないこと、無理をしないこと、そして合気道に興味を失わないこと、であろう。

ケガをしてしまうと、年を取ってからでは治りも遅く、稽古を休んでいる間に体が硬くなるだろうから、再び稽古に行くのがつらくなるだろう。それで、じゃあ止めようか、ともなりかねない。ケガは極力避けるようにしたいものである。

やはり、無理をしないことである。無理というのは、理が無い、理に合わないことである。合気道の技は宇宙の条理を形にしたものであり、その宇宙の条理を身につけるために、技を練磨しているわけだから、理合の稽古をしなければならないはずである。

理合の稽古が難しければ、まずは呼吸に合わせ、呼吸に導かれる動きをすることである。動きに合わせて呼吸すると、疲れるし、力もでないのである。息に合わせて動けば、速くの遅くも自由自在に、楽に動けるはずである。

また、息によって動くと、体は柔軟になるはずである。相対稽古で十分に体が柔軟にならなければ、自主稽古で柔軟運動をすればよい。もちろん、呼吸に合わせて、呼吸先導でやらなければならない。

最後に、合気道への興味を失わないことである。これは高齢者だけの問題ではない。若い稽古人でも、合気道を止めていく多くは、興味を失うことにあると思う。

合気道を続けるためには、合気道のすばらしさを自覚しなければならない。合気道とはなにか、何を求めているのか。そのためには何をしなければならないのか、稽古とは何か、上達とはなにか、などなどを知ることである。

これらを知ると、道にのれるはずである。合気の道である。道であるから、目標があり、それに一歩でも近づこうとするのが稽古となる。目標のゴールに到達できるかどうかは、誰も分らないだろうが、道に乗っていれば、そこへ一歩でも近づきたいと思うことだろう。そうなれば、途中で止めることなどできなくなるはずである。