【第367回】 一技一技を大切に

合気道は、技の練磨を通して精進していく。一般的には、相対で受けと捕りを交互に、そして、主に基本技を左右裏表の4本ずつ繰り返し稽古していく。

合気道の基本技はそれほど多くないので、一つの技を数千回、数万回繰り返して稽古することになる。しかし、おもしろいことに、何千回、何万回、何十万回稽古しようと、もうこれでよいということは無いのである。これは私だけの感想ではない。先人や先輩にも、十分にやったなどと言ったり書いたりしている方はいない。技の練磨には終わりがないということである。

技の稽古はやればやるほど上達するが、ただ繰り返してやればよいというものでもない。特に、有段者や高段者になったら、注意しなければならない。やればうまくなるというのは、ある段階までのことであり、その後の上達のためには、うまくなるように稽古しなければならないのである。

上達するための稽古はいろいろあるだろうが、その内の一つに、「一技一技を大切に」しながら稽古をしていくことがある。技を大切にしないで稽古をしても、上達には限界があるはずだ。

技を大切にしない最大の原因は、相手を倒すことを目標に置き、相手を倒そうとすることである。相手に力がなければ、倒したりきめたりすることができるかもしれないが、逆の場合はどんなにがんばっても倒せるものではない。

後進や初心者が二教などで一生懸命にきめようとするが、無駄な努力をしているのである。どんなにがんばっても、倒せないものは倒せないのである。倒れない相手を倒そうとするよりは、自分のためになるようにがんばったほうがよい。例えば二教裏の場合、しっかり自分の手をしぼって手先を強靱にしたり、腰腹に結んで腰腹の鍛錬をするようにした方がよいだろう。

大事に技をつかっていくためには、まず、相手を倒すという考えを変えることである。相手ではなく、自分に勝っていく稽古をするということである。追い追いわかってくるだろうが、合気道は相手を倒すのではなく、相手が自ら倒れるようにならなければならないのである。

次に、宇宙の法則に則った技をつかうのだから、その法則に自分をはめ込んでいかなければならない。つまり、技に自分を入れていくのである。技をつかうのではない。例えば、手も足も右、左を陰陽、交互につかっていくのである。右を出したら、次は左、そして右と歩を進めたり、手を使うのである。法則性に欠けた動きや技は効き目がないだけでなく、体を痛めることになるだろう。

次に、息づかいである。それまでは動きに合わせた息づかいをしていたのを、今度は息に合わせて動くようにするのである。息の強弱や遅速によって技は変わってくるから、それをやってみる。技を速くしたり、遅くしたり、また、大きい力を出したり、力を調節したりできるのは、呼吸である。

また、呼吸は頭で考えたことを手足に伝える媒介者である。息をうまく使わなければ、考え通りに手足は動いてくれないものである。そして更に、この息を技に通すのである。技に息を通すと、そこに力が満ち、また、自分の体が見えてくる。自分と結んだ相手も見えてくるのである。

さらに、体の部位との対話もできるようになる。動きの悪いところがあれば、そこが見えるから、直すこともできる。これが、上達につながる。

相手を倒すことばかり考えて、技をかけていると、これらができないことになる。従って、上達も難しくなるということになろう。

稽古の量から質への転換ということである。一技一技を大切に稽古していきたいものである。