【第363回】 動かさないで動かす

今回の論文のタイトルも、パラドックスであるが、合気道は多くのパラドックスでできているようだ。曰く「合気道は倒す稽古ではない」、曰く「合気道には力は要らない」等などである。しかし、この言葉だけを鵜呑みにして稽古をしても上達はなく、面白くもない。

合気道は武道であり、根本的には敵を制する術(テクニック)であるはずだから、技をかけて相手が倒れていなければ、その技は失敗ということになる。そのための力が要らないわけはない。

「合気道は倒す稽古ではない」とは、倒すことが目的ではないということである。その裏には、結果として相手は倒れていなければならないということがある。

「合気道には力は要らない」とは、合気道は腕力の養成をしているのではない、そして、力に頼った稽古をするなということである。つまり、力に頼った稽古をしていると、得るものがなく、稽古にならないということである。

合気道は「動く禅」といった人がいると聞いているが、合気道のこのようなパラドックスは、禅の公案がパラドックスであるのと同じようなものだろう。

さて、今回の公案である「動かさないで動かす」を解くことにしよう。通常、動かすためには、動かさなければならない。手を動かすのなら手を、頭を動かすなら頭を動かすだろう。これはふつうだし、何の問題もない。

確かに問題はないが、それは日常の生活の中でのことで、武道の世界では問題になる。なぜなら、それでは武道的な力が出ないし、それでも力を出そうと無理をすると、体を痛めてしまうことになるからである。

例えば、相手に手首を押さえさせて技をかけるとき、押さえられている手首を動かして技をかけようとしても、技は効かないはずである。だいたいが力いっぱいに押さえられていると、動かすことはできないものだ。

では、どうすればよいかというと、押さえられている腕(前腕)は横に動かさない(内転しない)で、縦の十字に旋回するのである。持たれているところを十字に旋回すれば、相手はそこが動いているとは感じないで、力を吸い取られることになる。あとは、持たれている腕を円く螺旋に動かしていけばよい。 実際に、相手が掴んでいるところの皮膚は、相手の手とぴったりとくっついているので動いていないはずである。

また、一教や二教で相手に技をかける場合には手でかけるわけだが、技をかける手を動かしては技がかからない。手を相手にくっつけたら、その手を動かすのではなく、その上の二の腕から上の部位(体幹、腰)を使って、そこを動かすようにしなければならない。肩取りなどで肩をつかう場合も、肩を動かすのではなく、股関節を動かしてつかうことである。

さらに、合気道の技の法則としては、接点を動かさないというものがある。接点を動かさないから、相手が動くのである。相手との接点をむやみに動かせば、相手は安定して、動かなくなってしまう。もちろん一つの技(技の形)には複数の接点ができ、それが移動するのであるから、各接点を動かさないで技をかけていかなければならない。

接点を動かしてしまう故に技がかからない典型的な例として、諸手取りや片手取り呼吸法がある。特に、最後に相手を投げようとして、自分の腕が相手の胸や首に接したとき、その接点を攻める(動かす)と、引っかかって頑張られてしまうことになる。この接点で自分の腕を相手の首や胸に貼り付けて動かさず、腰や背中や体幹で動かすのである。

以上のようなことが、「動かさないで動かす」という公案の解答の一つということになろう。