【第362回】 大事にしまい込まない

合気道は相対稽古で技を練磨しながら精進していくので、稽古の相手によって稽古のやり方が多少変わってくる。受け身も満足に取れない相手を思いっきり投げることはしないし、女性や高齢者には怪我をさせないことを最重点に稽古をするのである。

しかしながら、相手に怪我させず、精進してもらうように気をつけながら稽古しても、やはり自分も上達するように稽古をしなければ、稽古の意味がないだろう。

稽古には、やりやすい相手とやり難い相手がある。稽古年数にもよるが、有段者となれば、やりやすい相手は自分より少し後輩であったり同輩だろうし、やり難いのは先輩である。

しかし、本当に難しい相手は、受け身も満足に取れない初心者であり、またすぐに疲れてしまう高齢者であろう。そのような初心者や高齢者と一時間、とぎれることなく稽古が続けられたら、相当のレベルと言ってよいだろう。その上、自分の稽古にもなり、いろいろな発見や課題の解決などができれば、さらにすばらしい。

稽古は、どんな相手でも、いつでもどこでも、瞬間々々に、自分の最高のものを最大限に出していかなければならない。相手が初心者だからといって、気を抜いたり、また自分の技をしまい込んだりせず、出し惜しみせずにどんどん出していくべきである。

稽古では、常に自分の最高のものを出していくようにすべきであろう。なぜなら、最高のものを出し切ることによって、また新しいものが入ってくるからである。それが進歩であり、上達ということになる。どんなよいものでも、しまい込まれていては腐ってしまい、魅力がなくなる。どんどん出して、どんどん新しいものに換えていかなければならない。

世に評価される芸術家 科学者 研究者 芸能家 スポーツ選手等などは、その瞬間々々に、自身の最高のものを出そうとしている。出し惜しみしていては、よいものが出ないし、世間のよい評価も得られない。

最高のものが出ると、さらによいものが出てくるはずである。人はその次の最高のものを期待するのである。二番煎じでは、人は最高のものなど期待しなくなる。最高、そしてまた次の最高・・・。これが宇宙の生成化育の姿なのだと考える。

合気道の稽古でも、大事にしまい込まないで、毎回、精一杯の最高の技を出していきたいものである。