【第361回】 物忘れ大いに結構

世の中には、物覚えのよい人がいる。一般的には、記憶力がよいということだろう。物覚えがよくない者、物忘れ傾向にある者としては、学生時代や就業時代に引け目を感じたり、また、どうして俺はこうも物覚えが悪いのか、物忘れがひどいのかと、親を恨んだりしたものだ。

しかし、仕事の第一線を離れ、年金暮らしに入ると、物覚えの悪いのが気にならなくなってきただけでなく、物忘れ大いに結構、と思うようになってきた。

合気道のお陰か、物事には両面があることを学んだが、物忘れにもメリット、デメリットの両面がある。

確かに、若い時に学校や会社などの組織で勉強したり、働く場合には、物忘れをしたり、されたりしては問題だが、定年になったりして組織で働く必要がなくなれば、誰に迷惑をかけるわけもないだろうから、問題はなくなるはずである。

もちろん、すべてのことを忘れてしまい、家族や周りの人に迷惑をかける極端な場合は別である。これは病気であるから、この話の対象外である。

物忘れにはデメリットがあることはみんな知っているし、あまりよい話はないので、ここではメリットに重点を置いて書いてみようと思う。

自分の場合も物忘れは少しずつ進行しているのだろうが、最近では、物忘れ大いに結構と思える。例えば、以前よく見ていた「刑事コロンボ」のテレビドラマが衛星放送で再放映されているのを見ても、ほとんど覚えておらず、まるではじめて見るような新鮮さで鑑賞できるのである。

刑事ものなど犯人がわかってトリックが分かれば、二度と見る気がしないものだが、物忘れのお陰で楽しむことができるのである。もちろん、他のテレビ番組も同じである。「なんでも鑑定団」などもよく見ているが、再放映されたのを見てもほとんど忘れており、楽しませて頂いている。テレビを見る時、以前見たか見ないかなどと気にしないで見ることができるのだから、物忘れは有難い。

テレビだけでなく、小説も同じで、読み終わって積んである小説を見ると、まず、これは本当に読んだのかという疑問が起きるし、読み終わった後でさえ、その疑問が残るほどである。お陰でおもしろい小説は、これからも新鮮な気持ちで再三読むことができそうだ。毎日、小説は読んでいるが、これからはもう小説は買わなくてもよくなるかもしれない。物忘れは経済的でもあるようだ。

若いころは、もう少し物覚えがよかったせいか、いま考えれば馬鹿々々しいことをくよくよ考え、ひどい場合には夢でうなされたりしたものだ。だが、物忘れができるようになってくると、つまらないことは忘れてしまうようになるし、忘れることが容易になる。そうなると、忘れてはならないこと、忘れたくないものにだけ集中できることになる。

物覚えのよい人は、その点、不幸かもしれない。つまらないことやネガティブで嫌なことも、覚えていなければならないからである。

長年生きてくると、自分の事や人のことがいろいろわかってくるが、物忘れや物覚えの悪さをそう悲観する必要はないのではないかと思うようになってきた。

人は見たこと、聞いたことを体のどこかに蓄積しているのであって、消え去ったわけではないはずである。物忘れをするというのは、それが必要な時と所で出て来ないだけのことだと思う。

人間の遺伝子を調べれば、自分の親から、そのまた親と人類の先祖、哺乳類、魚類などなど、人類や生物の末端にまでつながっており、合気道的に言えば、すべてが一元の元に繋がるはずである。そして、科学がもっと進歩すれば、それらのすべての個々が見たり、聞いたりしたすべても、その遺伝子等に記憶されていると分り、再現できるようになるはずである。

聞かれたり、思い出そうとしても、思い出せないことを、別な時間や場所で思い出すことが多々ある。また、何かに真剣に取り組んでいると、開祖や先人が話されたこと、読んだ文章などが、物忘れの得意なザル頭にも現れてくる。

昔、ある実験がテレビで紹介された。被験者が部屋に座って本を読み、その後で専門家による催眠術によって眠る。そして、眠っている被験者に今読んだ本の文章を聞くと、一字一句間違わないでその文章を言うのである。意識していては、とても不可能なことである。

さらに驚いたことに、被験者は座っていた部屋に飾ってある絵に書かれていた、常識では見えないような文字まで見て覚えていたのである。無意識で部屋じゅうを見て、見たものはすべて蓄積していたのである。

その後の場面は忘却の彼方であるが、恐らく被験者は意識が戻ったとたんにすべてが忘却の彼方になっただろう。

もしも、見たもの聞いたことのすべてを覚えていなければならないとしたら、人は恐らく狂ってしまうだろう。適当に忘れたり、無意識の世界にしまっておくから、平穏に生きていられるのであろう。

年を取ってくれば、余計なことは忘れた方がよい。だから、人はそのようにつくられているのであり、それが自然の摂理なのだろう。
物忘れ大いに結構々々。物忘れ万歳!!!