【第356回】 合気道は科学であり宗教である

私が合気道に入門して驚かされたことのひとつに、ご高齢であった明治生まれの大先生(開祖)が、われわれ稽古人たちに合気道をご説明される際に、「科学」とか、「科学する」とか、「科学」という言葉をつかわれたことである。多分、当時、ご高齢の武道家には不似合いな言葉だと思ったのではないだろうか。それは若い稽古仲間も同じ思いだったようで、お互いにそれを目で確認し合ったものだ。

開祖が合気道新聞に書かれたものをまとめた「合気真髄」を読むと、この「科学」ということばは何回か使われているのが確認できる。例えば、「合気の道を究めるには、まず真空の気と空の気を、性と業とに結び合わせ、喰い入り乍ら技の上に科学を以て錬磨するのが修業の順序であります。」「一元の大御心をあらわすには、二元が現われて、はじめてすべてのものが現われる。これがすべての科学の始まりになっている」「武は生きて、赤き血にたぎりによって生きています。緒結びによって、千種を生み出しています。これは、科学した業であります。」「その三角を四つ寄って宇宙に気結びし、生産びすることである。気結び、生産びし、三角は造化の三神を意味する。科学の始まりで、この世界は科学によって、かくのごとき世界が造られたのである。」等である。

辞書を見ると、科学とは「事象に関する知的・合理的な探求の営み」(「大辞林」)とあるから、大先生の使われている「科学」も何ら不都合はない。

しかし、一般的には、科学とは同じ条件とプロセスにより、誰でも、どこでも、いつでも同じ結果を得ることができることであろう。そうであれば、もしわれわれ稽古人たちが、大先生が科学とされていることができず、同じ結果を出すことができないなら、それは科学でないということになるだろうか。否、である。なぜならば、大先生はいつ、どこでも、同じ結果を出すことができたわけだから、科学なのである。だから、大先生はわれわれ稽古人たちに、修行してそれができるようにし、科学にしなければならない、といわれているのである。

例えば、合気道の技は宇宙の営みを形にしたものであり、技には宇宙の法則がある。その法則に則って身体をつかい、心と息をつかえば、技が生まれ、心体が健康になる。技を発見し、試行錯誤し、身につけるということは、誰にでもできるはずであり、「科学すること」になるだろう。

しかし、合気道の技を身につけることは、見えたり、体で感じることができるものであり、科学することができるが、例えば先述の「一元の大御心をあらわすには、二元が現われて、はじめてすべてのものが現われる。これがすべての科学の始まりになっている」になると、科学するすべはなく、信じるしかなくなる。

137億年前には、この宇宙に何も存在しなかったのが、今では宇宙に1000億個の銀河があり、その各銀河には平均2000億個の星があるといわれている。地球が40億年前にでき、地球上には人間が住み、動植物が生存し、海川山河がある。

また、地球は昼夜、四季が規則的に繰り返している。人類は700〜800万年前から進化を繰り返してきている。

何もないところから、これだけのものができたわけだが、それらは何かに向かって突き進んでいると思えて仕方がない。

科学者は137億年前にビッグバンがあり、それで万有万物ができたといっているが、大先生はその大元を一元の大御心(大神)と言われ、そこから二元(魂と魄)が現われ、そこから八百万の神々が出て万有万物を作ったとするのである。そして、一元の大御心は、宇宙楽園の建設にあるといわれる。

また、合気道はこの大御心の宇宙楽園建設のお手伝いをする人を育てる道である、とも言われている。

この大御心は、科学の世界のものではない。信じるか信じないかの世界だろう。 しかし、科学の世界でないから価値がないとか、意味がないということにはならない。

例えば、近年、宇宙の研究が盛んに行われているが、村上陽一郎氏(注参照)によれば、それは宇宙学といわれることはなく、宇宙論といわれるそうである。あまりに膨大な宇宙を科学することは不可能故に、多くは推測し、予想するしかなく、そして、それを信じるしかないからである。

科学の限界の外では、もはや科学ではなくなり、信じる、信じないの世界になる。信じることとは、信仰であり、宗教になる。多くの科学者が、もうひとつの世界や、なにか偉大なものを信じているようである。

開祖も、合気道は宗教ではないが、宗教でもある、と言われていた。意味されたことは、合気道は通常の宗教とは違うが、万有万物を創造している一元の大御心などを信じ、信仰するような、まったく異質で新しい宗教であると言われたのだと思う。

合気道はこの意味で、科学であり、そして宗教である、とも言えるだろう。従って、稽古は科学的、そして宗教的、つまり少なくとも信じ、信仰して、やらなければならないことになるだろう。

参考資料:
NHKテレビ放送大学(1999年) 村上 陽一郎:科学史家・科学哲学者、 東京大学名誉教授、東洋英和女学院大学学長。 科学史研究者としての専門は物理学史。