【第352回】 生涯現役

人は成長期の5倍の長さを生きることができるという。成長期が25歳とすると、その5倍で125歳となるようだ。
この時点での世界最高老齢者は日本人の木村 次郎右衛門さん115歳であり、それより数カ月若い115歳の方もまだまだおられるようだし、また、日本だけで、100歳以上の方は5万人以上おられるという。

確かに、その125歳の寿命に人はどんどん近付いているから、その内に125歳まで生きる人が、世界中にぞくぞくと出現するようになるのだろう。

60歳や65歳で定年となり、今度はそれまで生きてきた長さと同じ長さを、仕事もせずに、何もしないで過ごすことは考えられない。なぜならば、人は何かで生産的に生きていると思えなければ、生きているという実感がなく、幸せではないのではないかと思うからである。

誰もが125歳までは生きられないだろうが、125歳まで生きるつもりで生き方や考え方を変え、その準備をする必要があるかもしれない。アメリカのように豊かで、技術がある国の富裕層の中には、自分の死体を冷凍保存し、時期が来たら生き帰り、永遠に生きる準備をしている者もいると聞く。

常々思っていることであるが、60歳や65歳で仕事を辞めて無職になるというのは、早すぎると思う。そもそも60歳、65歳定年制というのは、欧米社会には適していると思うが、日本人社会には合わない気がしている。

欧米人と約40年間にわたって仕事をしてきたが、その仲間や上司や関係者を見ていると、欧米人は60歳、65歳になると、一般的ではあるががグンと老けてしまい、多くの人が仕事を続けるのが困難になるように思える。だが、日本人は違うようである。極端な言い方をすると、日本人はここから本当の仕事ができるのではないか、と思うのである。

以前に何度も書いたが、合気道では50歳、60歳はまだまだ体力的、精神的にも元気でエネルギーがある。しかし、60歳までは鼻ったれ小僧と言われるように、50,60歳では世の中の本質的なことがまだ見えていないはずである。せいぜい古希ぐらいになってやっと、大事なことがぼちぼち分かってきて、知恵がついてくるのではないだろうか。合気道の世界でそうなら、一般社会でも同じであるはずだ。

日本人は70歳を過ぎたころから、仕事の全容をつかめるようになり、目標がピンポイントで掴め、最適な手段を見つけ出し、知恵と知識を結集し、無駄なく、最小時間で、そして成果をあげることができるようになると思う。合気道の稽古でも、古希近くなってはじめて、合気道の何たるかが見えてくるようになるから、稽古もそれまでの稽古を土台にして、本格的な合気の稽古に入れると言えよう。

50,60歳の稽古では体力勝負となるから、体力に頼る稽古は長くは続かないだろう。体力の魄に頼らない稽古に入らなければならない。無理のない、理合の稽古であり、宇宙の条理に反しない稽古である。これは体の稽古と違い、宇宙を対象とする稽古であるから、やることは無限にある。10年や20年で会得できるようなものではないし、たとえ125歳まで生きて稽古しても、どれだけ会得できるかわからないほど、無限に学ぶことがある。

稽古を60歳や70歳でやめてしまうのは、中途半端ということになる。開祖は、生涯現役であった。開祖のように才能があり、修行の密度が濃かった方でさえ、そして合気道の悟りを開かれ、目標を達成されたにもかかわらず、86歳の最後まで現役で修行を続けられていたのである。

才能もない我々凡人は一生懸命に、そして、時間をかけてやるしかない。125歳までやったとしても、どこまで開祖に近づけるかわからないが、やってみなければわからない。

125歳になったとしたら、何を会得し、悟り、そしてどんな稽古をしているのか、考えると楽しいものだ。ロマンである。125歳前にお迎えが来るだろうが、それはあちらさんがきめることだから、こちらで心配しても仕方がない。生涯現役で、稽古を続けたいものだ。