【第345回】 原理をもっているか

人は何かの原理をもって生きていて、物事を達成したり、命をかけて闘ったりするようだ。原理とは、生きていく上で頼りになるもの、無くてはならないものということであろう。

先日、司馬遼太郎と荻原延壽による対談“日本人よ侍に還れ”(下記参照)を読んだ。要旨は、外国には生きる上で頼りになる原理があるが、今の日本にはそれが欠けている。日本に原理が欠けているから、日本は何を基本にして相手国と交渉してよいのか明確ではなく、また他国も原理のない日本には対応が難しく、日本は何を考えているか分からない、ということであった。だから、政治や外交や経済が混乱したりぎくしゃくする、というのである。

これまでは経済大国などといわれ、GNPやお金などが原理のように考えられてきた。だが、最近では、どうもそれが原理ではないことに気がついてきているように思う。侍の時代には、侍の躾(しつけ)という原理があり、その原理が庶民にも広がっていて、ラフカディオ・ハーンなど外国人を感動させたというわけである。

対談では、この侍の躾のような原理を、日本と日本人は取り戻さなければならないということであった。まさしくそうであろうし、そうでないと、日本や日本人が世界から取り残されてしまうのではないかと心配でもある。

原理とは支えであり、頼れるものである。宗教などはその典型的なものであるが、合気道にも、合気道の原理がある。そして、この合気道の原理こそ、未来の世界の原理になり得るものであると考える。開祖は合気道の原理を世界の原理にすることを目指されていたと思うし、それをわれわれ後進に託されているはずである。

今のところ、世界の国や地域は異なる原理をもっているために、争いが絶えない。自分の原理が正しいとして、相手の原理を無視したり、気に食わないと攻撃したりしているのである。地球上に共通の原理がなければ、本当の平和、地球楽園はできないはずだ。

合気道の原理は、一元の元の大神様の意志である宇宙天国建設のための宇宙生成化育のお手伝いをする武(それを阻害するものの排除・阻止)であり、森羅万象を正しく産み、守り、育てる神の愛の愛ということになるだろう。

この原理が世界中に広がれば、争いのない平和な世界になるはずである。開祖は、世界どころか宇宙の和合を考えておられて、「合気道こそ、宇宙を和合する唯一の道」といわれている。

合気道の原理を世界に知らしめるためには、その原理を合気道の稽古人が自ら身につけなければならないだろう。身につけるためには、技を練磨し、宇宙の営みを身に入れていかなければならないことになる。

しかし、それは容易なことではないだろう。一生懸命にやっても、長い時間がかかるはずだ。長い修行の間には、もう駄目だと諦めたくなることもあるだろう。それをじっと堪えて、修行を続けられるようにするのは、この原理のはずである。合気道の原理をどれだけ信じ、身につけているかによって、ちょっとしたことで修行をあきらめてしまうか、それとも相当なショックにも耐えられるかが決まるだろう。

自分のため、そして世界のために、合気道の原理に従って稽古していきたいものである。

参考文献:『司馬遼太郎対話選集』第4巻「近代化の相克」(文春文庫)
      “日本人よ侍に還れ”