【第342回】 武道と武術

合気道は武道である。それも、他人と勝ち負けを争う剣道や柔道などのような武道ではなく、自己と戦う武道である。

試合もないし、稽古は受けと捕りを公平にやる。陰陽、左右、裏表、十字、螺旋など、宇宙の条理に則った技の形を繰り返し々々やることになるので、気持ちがよいし、健康にもよい。多くの稽古人が楽しく、和気あいあいと稽古をしているのは、すばらしいことである。

合気道はますます世界中に広まっている。日本では中学の武道の必須化にもなって合気道を選択する生徒が増えることだろう。
ますます多くの人が合気道の稽古をすることになるだろうが、このすばらしい合気道をさらに普及させるためにも、ここで武道としての合気道を考えてみる必要があるだろう。

合気道は開祖植芝盛平翁によってつくられたが、開祖は合気道をつくられる前に起倒流、柳生流、大東流などの柔術を習われた。合気道も、昭和4年から17年までは「合気柔術」と称されていた。柔術から武道の合気道となったのは昭和17年といわれるから、たかだか70年前のことである。

私が合気道に入門したのは昭和36年(1961年)であるが、稽古にはまだまだ柔術の痕跡が残っていた。例えば、武術としては当然だが、首を絞めたり、首を捻って投げたりしていたものである。稽古とは相手を倒したり、関節などを絞めてきめることで、やるかやられるかの厳しさがあった。しかし、その厳しさから体ができ、技を覚えたようにも思える。

当時は、柔道や剣道や空手などが普及していたが、合気道はあまり世に知られていなかった。そのため、他の武道に負けない武道であることを示すべく、先輩稽古人達は張り切っていたようだ。

現在では、このような厳しい稽古をする人はいないし、その必要もないが、反面、合気道が武道であるということが忘れられてきているようにも思える。合気道が武道でなくなれば、合気道の魅力は半減してしまうことだろう。

合気道が武道であるためには、次の2つのことを整理し、身につける稽古をやらなければならないと考える:

1.「武道」とは何か? 
これは開祖が示されているので、それが回答になる。
 開祖は、武とは一般的に戈(ほこ)を止めるということであるが、もっと大きい意味がある、といわれている。つまり、宇宙天国や地上楽園のための宇宙生成化育を妨げるものを取り除くことが武である、というのである。これを目標に進むことが、道ということになろう。 そこで私は、武道である合気道は、大神様のお手伝いをすべく、その意志に反することを取り除き、自分自身、社会、国、環境など等が停滞して淀まないように、武をもって守っていくことだろうと考えている。(詳細は第334回参照

2.術
合気道は技の形(この後、技と称す)の稽古をして精進していくが、これらの多くの技は、前述のように柔術が土台になっているから、柔術につながっているはずである。術とは敵を制したり、倒すためのテクニックである。柔術とは、基本的には素手で、血を見ずに敵を制し、倒すテクニックということになろう。
合気道でつかう技には、この「術」の要素が入っていなければならないと考える。つまり、合気道という武道には、武術が同居しているわけである。具体的にいえば、技をかける際には、いつでも、技のどの部分でも、相手を投げたり、崩したり、抑えることが瞬時にできるような、テクニックと体遣いと心構えをもつ、ということであろう。

もちろん、合気道の通常の相対稽古で、実際に術をつかってやってしまうことは問題だろうが、いつでもやることができるように、そしてまた、受けの方も、いつやられても受けがとれるような心と体の準備をしながら稽古すべきである、ということである。

そこに相対稽古での緊張感が生まれ、合気道が武道であるという雰囲気が自ずから醸し出されるはずである。そうすれば、稽古する者も、見ている第三者も、これは武道であると感じるはずである。

かつて本部道場で教えておられた有川定輝師範は「武道なんて言っているから、技が駄目になるんだ。まあ、武道というよりは武術だな」といわれていたと聞くが、まさしくその通りだと思う。

武術としての稽古をするにしても、かつてのように敵を制するのが目的ではない。目的は、あくまでも自分自身を鍛えるためである。相手にダメージを与えたり、迷惑をかけるのは、タブーである。

「武道」を追求しながら、武術も研究し、真の武道としての合気道を習得していきたいものである。