【第340回】 相手が受けを取りやすいように

現代はまだ物質文明、競争社会であり、他人よりよいものを多く持とうとしたり、相手に負けないようにとがんばる厳しい社会である。

合気道はこのような「もの」中心の世界、魄の世界を、変えていこうとするものである。だが、合気道の稽古においても、この日常からの物質文明と競争文明からなかなか抜け出せないものである。

合気道は通常、二人一組になっての相対稽古である。合気道の稽古は勝ち負けの勝負を争うものではないと教わっているし、争ってはいけないことは分かっているが、往々にして争ってしまうものだ。

お互いに争うことはまずいとわかっていても争ってしまうのには、いくつか理由がある。その一つは、相手が「受けを取れないように」または「取りにくいように」技をかけることにあると思う。

受けに争うつもりがなくても、押されたり引っ張られたりぶつかられたりして、動きを止められたり、または受け身が取れなくなったりすることがある。すると、技をかける方は相手ががんばって倒れないと思って、さらに力を入れて無理にやる。このようになると、受けの方も、おのれ小癪な、とばかりに倒れまいとがんばることになる。そこで、さらに力を込めて倒そうとすることになるわけである。

例えば、「片手取り四方投げ」で、持たせた手を足と一緒に一歩進めるとき、この手と足を相手の受けの円内に入れてしまうと、受けを取ろうにも脇が締まって動けなくなってしまうものだ。だが、技をかけている方は、これは受けががんばっているのだと思い、さらに力を込めてしまう。

この問題をなくすためには、受け側が受けを取りやすいように、つまり受けの動きを邪魔しないように、技をかけなければならない。これは開祖が「人の仕事の邪魔をしてはいかん」といわれていたことであろう。

「相手が受けを取りやすいようにする」ことは、容易でないかも知れない。なぜなら、かける技は理に合ったものでなければならないからである。例えば、前述のように相手の円内に入れば、相手の動きを止めてしまうので、相手の円内に入ることはタブーなのである。

ついでに円に関していえば、まず、相手と結び、そして相手との共通の円から、相手を相手の円外に導き、自分の円の内に納めなければならないのである。この理合に従わない動きをすると、相手は受けを取れないか、取りにくいことになる。

受けの場合も、技をかける時と同じように、合気道の理合、技の法則に則った体使いをしなければならない。受けも足を右と左の陰陽で交互につかうはずなのに、それが技をかけられる際に乱されると、受けの動きが止まらざるを得なくなる。受けががんばるのは、往々にして技をかける方が原因をつくっているのである。

相手が受けを取りやすいように技をかけるのは、受けを自由にさせるということではない。武道であるから、取ってくる相手を確実に制していなければならない。要するに、自分の一部となるように結んで離れないようになっていなければならないということである。

つまり、相手が受けを取りやすいように技をかけるとは、自分の体の一部(受け)が自分の体として、陰陽に規則正しく、正常に動く、ということでもあろう。

受けを取ってくれる相手を、投げようとか抑えようと思うと、相手は以心伝心で察知し、がんばってそうならないようにすることだろう。

では、どうすればよいかというと、合気道では相手を投げたり抑えたりするのではなく、相手が自ら倒れるようにしなければならない。これも、開祖の教えである。理に合った体遣い、息遣い、呼吸力などが充実してくると、こちらで相手を倒そうとしなくても、自分から倒れるようになるはずである。

受け側が自ら受けを取ってくれるようになれば、「相手が受けを取りやすいように」というミッションは一応目鼻がついたことになろう。しかし、このミッションにも、終わりはないはずだ。