【第338回】 投げようとしたり抑えようとしては駄目

合気道は技の練磨をして精進していくものだが、技の練磨は通常相対でやるので、どうしても相手を投げたり抑えようとしてしまうものだ。そして、相手を気持ちよく投げたり抑えれば、満足してしまい、そうでなければ満足できなくなってしまうようだ。

初心者のうちはこれも仕方がないし、相手を投げたり抑えることによって体力がつき、気力が増すので、必要なことかもしれない。

合気道の技は、相手を倒すのではない。相手が自ら倒れるようにならなければ、本当の技ではないといわれているし、正にその通りだと思う。

実際に相手を投げよう抑えようとすれば、相手はそれを感じて必ず反抗してくる。よほど力の差がなければ、思うように投げることも抑えることもできないはずである。

相対稽古の技の練磨で、投げたり抑えたりしないのなら、いったい何を稽古すればよいかを考えなければならないだろう。

それは、稽古の目的を確認して、それに集中して稽古することである。相手を倒そうと思った瞬間、稽古の目的が念頭から掻き消えてしまうのだから、相手のことに構っている暇はないはずである。

目的というのは、例えば、

  1. 体をつくることである:
    手首を鍛える、腕を強くする、腰腹をつくる、足腰を鍛えるなどなど、体の鍛える部位に意識と息と力を入れて練っていくのである。
  2. 技を見つける:
    技には法則性があるから、技の形の稽古を通して法則性を見つけていかなければならない。陰陽、十字、螺旋、天地の呼吸に合わせる 等など
  3. 技に自分を入れる:
    自分の得意技(技の形)で見つけた技を他の技の形で試していく。例えば、呼吸法で手を十字でつかえるようになったら、一教や入身投げや四方投げなどでつかうのである。これは技に自分をいれていくということになるだろう。
  4. 技を深めていく:
    技は宇宙の営みを形にしたものだから、深遠なものであり、決してこれでいいということはないはずだ。技は限りなく深めていかなければならない。上手下手はその深さとなろう。
  5. 道に合わせていく:
    合気道の目標は宇宙との一体化であり、宇宙生成化育のお手伝いをすることといわれている。自分の稽古がその道に沿っているのか、外れてはいないかを常に確認しながら、誤らないように稽古をしていかなければならない。
相対稽古の相手は、このお手伝いをしてくれているのである。その相手を投げようとしたり、抑えようとしては、申し訳ないだろう。

しかし、技をかけて相手が倒れなければ、技は未熟ということになる。技をかけたら相手が自ら倒れるようになるまで、稽古していかなければならない。合気道は武道であることも、忘れてはならない。