【第336回】 すべてが使命を帯びている

人だけでなく、すべての生き物は生まれては死に、そしてまた新たに生まれては死んでいく、を繰り返している。この繰り返しは、この先も営々と続いていくはずである。

あまりにも当然のように繰り返されてきているので、通常、人はあまり気にしてないようだが、考えてみれば不思議である。生き物はなぜ生まれてくるのか。なぜ死んでいくのか。死んで行くのがわかっていながら、なぜ一生懸命に生きているのか、何のために生きているのか、等などは学校でも教えてくれなかった。

しかし、この生き死にを繰り返すこと、死ぬことが決まっていても一生懸命に生きることには、意味があるはずである。なぜならば、人類は数百万年にわたってこれを繰り返しているし、動物や植物などは人類以上の長きにわたってこれを繰り返し、また、これからも繰り返さなければならない。その意味がわからないながら繰り返していることは、人は無意識のうちに、その意味を了承しているということではないだろうか。

合気道の開祖である植芝盛平翁は、人や生物が生まれるのは宇宙を創った一元の大神様の意志であり、人の生と死の繰り返しは宇宙楽園建設のため、といわれている。つまり、宇宙楽園が完成するために、人が誕生し、そのために働いてもらい、そして、次の人に代わってもらう、を繰り返しているということである。一人の人間や同じ人間が宇宙楽園建設に働いてもらうより、どんどん代わってもらった方がいいと、宇宙が判断したのだろう。

この考え方によれば、つまり開祖は、この世に生を受けたということは、宇宙から使命を帯びて生まれ出たのである、とする。もちろん、使命にはいろいろある。宇宙は無限である。宇宙が楽園になるためには、大小多種多様な仕事が必要になる。人類だけでは不可能であるから、動物も植物にも働いてもらわなければならないことになる。そういう意味では、動物も植物も、虫たちでさえ同胞ということになるから、仲よく共に宇宙楽園完成のために働かなければならないだろう。

人、生物の生き死には、自分の意志で決めることはできないわけだから、何者かが決めることになる。これが偶然、または無秩序で適当に起こっているとは思えない。そこで、宇宙が決めたことにするわけである。宇宙はすべてに使命を与えて誕生させ、そして死を与える。使命は宇宙から与えられる。

それでは、使命を果たすためにはどうするのかということになる。人によって、使命は違っている。動物にも植物にもそれぞれ使命があるはずで、その使命も違うはずである。しかし、果たすべく使命が違っていても、使命を果たすためには共通事項がある。

それは、過去を受け継ぎ、過去のものを育んだり、改良・改善したり、新たなものを加えたりして、それを未来(更新や次世代)に伝えることである。

例えば、子供を育てる使命をもった人もいる。自分もそうだが、子供というものは数百万年の過去をもって世に出てくるのである。生まれてすぐに手足や体が絶妙に動き、頭や本能が働くのは、その過去の遺産である。その過去の遺産に新たなものを加えながら育て、成長させ、そして一人前にすることが、親の使命である。

人類に大きい貢献をする人もいるし、それがその人の使命であるのだろうが、目立たない使命も使命である。目立たなければ使命といえないとしたら、動植物に使命があることもわからないだろう。

何が自分の使命なのかは、恐らく死ぬ時まで分からないかもしれないが、一生懸命にやっていること、やりたいと思うことが使命であると考えてもよいだろう。それを一生懸命にやることが、使命を果たすことのもうひとつであろう。

子供を育てることも、仕事も、稽古も、使命であるはずだから、一生懸命やらなければ、最後に後悔するのではないだろうか。

次に、自分の使命としてやったことを、後進や次世代に継承することがある。どんなに過去のものを受け継ぎ、それを身につけても、それが継承されなければ、その人の使命は十分に果たせなかったことになるだろう。

人も万物も、過去と現在と未来の過現未をもっているとすれば、現在だけでなく、過去にも未来にも生きていることになる。過去を未来に伝承していく。これが、宇宙楽園建設のための宇宙の意志であるようだ。すべての人、すべてのものが、使命を帯びているのである。ひとりとして、一つとして使命をもたないものはない。しっかりと生き、しっかりと修行していかなければならない。