【第332回】 合気道に導かれて

生まれてまだ70年ほどしか経っていないが、これまでの事を思い返すようになってくる。これまでは余裕がなかったのか、過去に興味がなかったのか、過去をじっくりと思い返すなどあまりなかった。

他人の人生は知らないが、人生というのは摩訶不思議であるといえるようだ。要所々々は自分の意志でがんばったが、ほとんどは何かに導かれてきたとしかいえない。今、ここにある自分やここまでの自分は、自分の意志というよりも、あるものの導きの賜物であるような気がする。

生まれてきたのは自分の意志ではないことから始まって、これまでに三度は死んでもおかしくない状況から脱することができた。そして、合気道を修行できたことなど、何かに導かれているとしか考えられないのである。

合気道と知り合わなければ、自分の人生は全然違ったものになっていたはずである。恐らく自分の人生を悔いて、あの世にいくことになっただろう。合気道の道へは、何かに導かれたとしか言えない。

もう50年前のことであるが、合気道を知ったのも、合気道を始めたのも、偶然である。もともとは空手を始めようと思っていた。空手を辞めた友人から空手着を貰うことになって、友人宅を訪ねると、友人の友達が何人か来ていた。取りとめもない話を聞いていると、合気道というすごい武道があって、触れたら相手がふっとんでしまうというのである。

しかも、自分の学校(早稲田大学)にその合気道クラブがあり、近くの新宿体育館で練習しているというのである。合気道がどんなものなのか分からなかったが、興味を覚え、何かに引っ張られるように、友人宅から直接、新宿体育館にいってみた。すると、早稲田の合気道クラブが稽古をしていたのである。

入門するつもりでクラブの責任者と話していると、近くに合気道の本部道場があるという。どうせ習うなら学校より本部がいいと思い、教えられた通りの道順で本部にいくと、稽古中だった。

玄関を入ると正面は受付・事務所で、右の階段を3段ほど上ると、道場の入り口がある。稽古を見て、これはおもしろそうと思い、すぐに入門手続きをした。その後も入り口で稽古を見ていると、指導している師範に「入門したのか」と聞かれた。「はい、今、入門の手続きをしました」というと、これから稽古の後りにやる運動をするから、よかったら一緒にやってもいい、といわれた。私服のまま道場にあがって、みんな、といっても10人もいなかったが、一緒に転換、入身転換などをやった。

だが、その後に前受け身、後ろ受身をはじめた。季節は真夏で、それでなくても汗だくなうえに、着ている物は一張羅である。だが、ここまできたのだからと、一緒に転がった。お陰で一張羅は汗でびしょびしょになった。しかし、帰路には、やったという満足感と、これから合気道を本格的にやるのではないかという予感があった。

二つ目の何ものかの導きは、合気道道場でのドイツ人との出会いである。このドイツ人と一緒に稽古したお陰で、ドイツに行くことになり、7年のヨーロッパ生活を楽しみ、合気道を指導することもできて、ヨーロッパ、西洋人、西洋文化などを知ることになった。また、その間に今の女房と結婚し、そして帰国後、彼の会社で働くことになるのである。これも合気道のお陰である。

合気道には何ものかに導かれたようであるが、合気道のお陰で、これまで抱いていた疑問や課題が解決されようとしている。合気道に大感謝であり、そして合気道に導いてくれた何ものかにも大感謝である。

合気道が解決してくれる疑問や課題は何か、それを合気道はどう解決してくれるのかは、次回にする。