【第332回】 稽古は法則を見つけ身につけること

合気道の目標は、宇宙人になることである。それは、宇宙と交流することであり、宇宙の一体化である。合気道は、日々の稽古を通して、その目標に近づこうとしているわけだが、これは容易ではない。しかし、諦めたらそれで終わりだから、何とか一歩でも目標に近づくようにしなければならない。解決の道は必ずあるはずである。というよりも、その道は必ずあるはずであるから、それを見つけて身につけることだけだ。

合気道は技の練磨をしながら精進するものである。この合気道の技は、宇宙の営みを形にしたものと言われる。その技の形を形稽古として、繰り返し繰り返し稽古するのは、そこに宇宙の営みである技を見つけ、そしてそれを身につけて、宇宙の営みをわが身に取り入れていくためだろう。

宇宙の営みと違ったり、それに反する技を身につけると、宇宙に近づけないだけではなく、怪我をしたり身をいためることにもなる。技の練磨の稽古は、よほど注意してやらないと危険もある。何でもそうだが、薬と毒は紙一重で薬も毒になるように、よいものにも危険は隣り合わせにあり、両刃の剣であるからよほど注意しなければならない。

そこで、身体を痛めることなく、宇宙の営みに近づいていく稽古はどうすればよいのか、考えなければならないだろう。少なくとも、ただ稽古すればよいということにはならない。一所懸命やらなければならないが、間違ったことをやり続けると、意味がないし、害になる。

開祖は、技は則(のり)である、と言われている。つまり、技は法則であり、条理なのである。従って、かけた技に法則性がなければ、それは真の技ではないことになる。実際、効果はないだろうし、身体にも負の負担をかけることになるだろう。

それ故、相対稽古で相手にかける技は、宇宙の営みと同じように、法則性をもっていなければならない。宇宙は、法則や条理で生成化育している。もし宇宙が、合気道の初心者の技のように法則に則らず、めちゃめちゃに活動したとしたら、我々人類や生物は今のように安心して生きていけないし、宇宙自身も宇宙の目指す目標には近づけないことになってしまう。

技は法則であるが、その技にはどんな法則があるのか、その法則は技として正しいのかどうか等など、疑問が起こるだろうが、何よりも大事なことは、技の形稽古から法則を見つけることである。それが正しい法則なら、他の技や、すべての技に適用できるはずである。もし、その時だけのもの、例えば、得意技や、やり易い相手にのみ通用するものであれば、真の法則ではないはずである。

法則はすべての技(の形)に適用するはずだから、その法則を新しい技や、今まであまりやったことがない技で試してみるとよい。真の法則なら、それもできるはずである。

それが真の法則ということになれば、それは一つの技ということになる。合気道は技の練磨であるから、この法則を身につけていけばよい。そして、さらに新しい法則を見つけ、それを試し、試行錯誤しながら、それらをどんどん身につけていくのである。

法則が身につけばつくほど、宇宙の営みが身に収まるわけであり、そうなれば宇宙に近づき、宇宙人に近づくことになるはずだ。