【第331回】 己を捨てる

何事でも物事を成就させるためには、己を捨ててやらなければ成果は上がらない。仕事をする場合でも、小手先でやったり、自分はもっと違う仕事ができるがこれは仮の姿であるとか、かっこつけたりしていては、よい仕事はできない。外から見ていても滑稽であるし、気分のよいものではない。

例えば、サービス業の短期アルバイトなどで見かけることだが、いくら粋がっていても仕事がちゃんとできないようでは、他の仕事をやっても満足にできないだろう。会社の仕事でも、どんなマイナーな仕事でも身を入れてきちんとやれる人は、どんな難しい仕事でもできるように思う。

仕事は巳を捨ててやらなければ成果は上がらないし、自分のためにもならない。巳をかばっていると、結局は自分をほろぼすことになりかねないということが、定年になって会社を離れるとよくわかる。

合気道の稽古でも、上達するためには自分がかぶっている殻を全部脱ぎ棄て、裸の巳でやらなければならないと、つくづく思う。若い時は、自分の経歴や経験等に頼ることが多いが、稽古ではそんなものは上達の邪魔になるだけである。殻をかぶったままで稽古をやっているのを見ると、技にも鋭さが見られないし、かえってそれが弱味になるようだ。

もし稽古相手が無心で、己を捨ててやるようであれば、その技は鋭いはずで、相手をする側も、己を捨ててやらなければならないだろう。そうすれば、お互いによい稽古ができるし、技は鋭さを増していき、上達するはずである。

かつて本部道場で教えておられた有川定輝師範は、己を捨てて、無心になって稽古をしなければならないといわれていた。だから、稽古中に相手に自分の強さを示そうとしたり、教えたりしたりすると、激怒されたものだ。

有川師範曰く「武道家たるもの己を捨てることが大事である。仕事をやる場合でも同じでそういうものになりきってやらなければ成果は上がらない。そういう気持があれば、合気道の技も一段と鋭さが増してくる。」

今でも、先生のこのお言葉と気持を肝に銘じて稽古している。今でも稽古するときは、有川先生がそばにおられて、見ておられると思っている。先生に叱られないように、己を捨てて無心で稽古していこう。