【第329回】 形稽古は自然の摂理を引きだすもの

合気道の稽古の基本は、形稽古である。それほど多くない基本の技の形稽古を、繰り返しやるのである。正面打ち、片手取りなどの取り(攻撃法)と、一教や四方投げという技の形の組み合わせである形稽古を繰り返すのである。 合気道を半世紀近く練習していると、例えば片手取り四方投げなどの基本技は、何万回、何十万回とやっているだろう。

よくも同じことを飽きもせずにやるものだ、と思うことがあるが、まだまだ繰り返してやらなければならないとも思う。だが、実際に繰り返しやっているということは、この形稽古になにか重大な意味があるからであろう。

合気道は技の練磨で精進していくので、技が大事である。技は宇宙の営みを形にしたものといわれ、宇宙の法則に則っている。しかし、技が具体的にどういう形をして、どんな働きをするのかは、わからない。ただわかるのは、我々が繰り返して稽古をしている形稽古の形の中に、技があることである。もしかすると、技の塊が形稽古の形なのかも知れない。我々未熟者の形はそうはならないだろうが、開祖やその高弟などの形は、技の塊なのではないだろうか。

現代リアリズム絵画に鮮烈な足跡を残した磯江毅(いそえつよし 1954-2007 大阪出身)が、「デッサンは自然の摂理を引きだすもの」と言っている。合気道において、形稽古は稽古の基本であるから、画家のデッサンにあたるだろう。そうだとすると、デッサンを合気道の形稽古に置き換えてみると、「形稽古は自然の摂理を引きだすもの」ということになる。

芸術家も自然の摂理をなんとか引き出すべく、デッサンをたくさん描くのである。合気道家は、形稽古を繰り返すことによって、自然の摂理、宇宙の営み、宇宙の条理を引きだそうとしているのだろう。

つまり、形稽古を繰り返しやるのは、その中から宇宙の則である技を見つけ、身につけ、そして、少しでも宇宙の営みに近づこうということだと考える。こんなところが、形稽古を繰り返し続ける理由ではないかと考える。