【第328回】 10年後

古希を過ぎると、だんだん先がなくなってくるのが身にしみてわかる。どんなに頑張っても高が知れているのだから、そろそろ頑張るのを止めにしたらよいのではないか、と囁くものがあるが、先が短いのだからいっそう頑張らなければならない、という思いもある。

習い事には、これでよいということはない。しかし、終わりはあるのであり、確実に来る。ありがたいことに、それが正確に何年、何月、何日、何時何分何秒にくるか、そしてどんなカタチ、つまりどんな理由でやってくるのかはわからない。

合気道もこれまでいろいろあったが、よく続いていると思う。せっかくここまでやったのだから、何とか最後まで続けたいものだ。これからもいろいろな障害があるだろうが、頑張りたいものである。

ただ、頑張ろうとしても、頑張れるものではない。短期間を頑張ることはできるだろうが、頑張り続けることは容易ではない。身体的な障害、経済的な問題、家庭や社会的な問題など、それを阻むこともあるからである。

そのような障害にもめげずに頑張るためには、しっかりした目標をもっていなければならない。そのためには、合気道の使命、そして自分の使命をもたなければならない。道、合気の道にのって修行をしていけば、持てるはずである。

自分の合気道の目標と今の自分は道で繋がっているが、隔たりがある。その隔たりを少しでも縮めようとするのが、練磨する、修練する、修行する、ということになろう。

日々の稽古は、少しでもその目標に近づくようにしなければならない。今日一歩近づけば、明日もさらに一歩近づくはずである。そうすれば、一年後は今のレベルと大きく変わるはずだ。大きく変わるとは、量的な変わり方だけでなく、質的な変わり方をすることである。例えば、腕力が強くなるだけではなく、呼吸力がついたり、それまでとは違う異質な力を増すことである。

量的な変化は予測できるが、質的な変化の予測はなかなか難しいものである。しかし、この予測の難しい質的変化がおもしろいのではないだろうか。これが武道の修行の本当のおもしろさなのかもしれない。

10年後など自分がどうなっているのか分からないが、先ずは自分がまだ稽古を頑張っていて、合気の道を一歩一歩進み、少しずつ目標に近いたと自覚できれば幸いだろう。

10年後に後悔しないように、今現在の稽古を10年後にも続くようにしていかなければならないだろう。