【第321回】 開祖に思いを馳せながら稽古をする

合気道に入門すると、初心者の時代には、受け身を覚えるとか技の形を覚えるなど、しばらくの間は明確な目標をもつことだろう。だが、ある程度できるようになると、次の目標がなくなってしまったり、曖昧になったりして、稽古をどう続ければよいかわからなくなるものだ。よい指導者や先生について教えてもらえればよいが、一人で見つけなければならなくなると問題である。

なんでもそうであろうが、合気道でも問題で行き詰ったら、原点に返ることである。例えば、技がどうしてもうまくできなかったら、「一教」にもどって、繰り返し稽古してみるのがよい。「一教」ができる程度に、技もできるようになるはずである。

さて、合気道の原点は開祖である。目標が見えないという問題に遭遇した時は、開祖に返ればよいし、開祖に返るしかないはずだ。

今や開祖を知っている稽古人は数少なくなった。開祖を知らない人が大半だろう。開祖を直に知っている人は、原点の開祖に返るのはそう難しくないだろう。開祖の演武、神楽舞、お話、そしてあの大目玉を思い出せばよい。開祖が示されたこと、言われたこと、なにをどうすれば叱られたのかを思い出すのである。しかし、開祖を直に知らない稽古人も、原点の開祖に返らなければ先に進めないはずだ。が、開祖に返るのは難しいだろう。

開祖に返る方法は、二つあるだろう。一つは、開祖につながっていく稽古をすることである。稽古とは「古(いにしえ)をみる」ということで、一生懸命に稽古をして、先人につながっていくことである。つまりは、開祖につながることになる。

二つ目は、開祖が言われたことや書かれたもの、それに開祖の写真や映像をよく見ることである。『合気真髄』『武産合気』は合気道の聖典であるから、何度も繰り返し読むのである。また、『植芝盛平 生誕百年 合気道開祖』の写真をじっくり見たり、開祖演部のDVDを見ることである。そして、それを稽古に取り込んでいくのである。

要は、開祖に思いを馳せながら、稽古をしていくことである。開祖の思いこそが合気道の目標であり、我々が進まなければならない道なのである。

かつて本部道場や多くの大学で合気道を教えられていた有川定輝師範は、多くの学生や稽古人に慕われていた。怖いもの知らずであり、独特の技と思想を持たれ、われわれから見れば完成の域に入られていたと思われた師範だが、師範を慕う稽古人に対して「俺を目標にしないで、俺が目標にした開祖を思いながら稽古をすればいい」といわれていたのである。

開祖に思いを馳せながら、稽古をしていかなければならない。