【第32回】 舞い上がり舞い降りる 〜下に押さえつける前に相手を舞い上げる

合気道の稽古は一般的に相手と組んでするものだ。和気藹々としたなかで技をかけたり、受けを取ったりするが、時には技に力を入れてかけたり、受身を頑張ってみたりすることもあるはずだ。
それは本来の合気道の稽古ではないだろうと思っても、行きがかり上争ってしまうこともよくあることである。

人間は一人ひとりが、体つきや顔立ちから考え方、表現の仕方など違っているのだが、稽古をしていると、人間は基本的には同じであるとつくづく思ってしまう。力を入れれば必ず相手も力をいれてくるし、頑張れば向こうも頑張る。逆に無理なく、自然の動きをすれば相手も抵抗せずに自然に動く。一教でも四方投げでも、相手を力任せに下に押さえつけようとすると、相手は崩れまいと頑張るので、うまく決まらないか、無理に相手を押しつぶすことになってしまう。これでは、自分も納得できないし、相手も満足がいかないようだ。

合気道では、相手の仕事の邪魔をするな、相手のやりたいようにさせてやれと教わっている。つまり、技をかけた相手に自分から受身を取りたいようにさせ、その方向に技を納めることである。相手を投げなくとも、相手は自分からころんでくれるはずなのだ。しかし、そうなるには幾つかの必要条件がある。

まず相手とは気と体を結び、その結びがほどけないように動く。そして肩を貫いて、押すのでも押されるのでもない力を使い、相手との接点で舞い上がり舞い下りしながら相手と一つとなることである。
例えば、四方投げで、最後に相手の腕を下に落とす前に、掴んでいる相手の腕を立て、真上に舞い上げると、あとはこちらで投げなくとも相手は一人で舞い降りてころがってくれるものだ。

この舞い上がる舞い降りるの感覚は、開祖が言われる次のところのものではないか:
「何事も"天の浮橋に立たして"から始まるのであります。
天の浮橋に立った折りには、自分の想念を天にも偏せず、地にも執(つ)かず、天と地との真中に立って大神様のみ心にむすぶ信念むすびによって進まなければなりません。そうしませんと天と地との緒結び、自分と宇宙との緒結びは出来ないのです。」

こうした感覚は、宇宙万世一系につながる我々人間の奥深くに共通して存在するものであり、合気道はこの人間共通の領域で練磨していくものだと思われる。