【第316回】 得物 ― 序

合気道は、技の練磨をしながら精進していく武道であるが、鍛え、そして使っていく中心は、生身の体である。剣や杖を振るのも、合気の体をつくるためであって、剣道などのように相手に勝つためではない。

そういう意味では、合気道における剣や杖などの得物は、主である体に対して、従ということになろう。

しかし、得物は従だからやる意味がないとか、合気道の稽古ではどうでもいい、と言っているのではない。それよりも、得物の稽古は逆に、非常に重要であるし、得物の稽古なくして合気の精進は難しい、と考える。

合気道に入門して形稽古に慣れ、体が少しできてくると、たいがいの人は道場に備えてある木刀に触りたくなるだろう。木刀を握って構えてみると、強い剣客にでもなったように思えるものだ。そして見よう見まねで素振りをしてみると、体術とは違った速度や力の感覚を得られる。まだまだ様にはならないだろうが、少なくとも筋肉はつくし、体もできる。これは誰でもできるし、やるべきだろう。

木刀の素振りは誰でもできるし、やらなければならないものだ。剣を想定して創られた柔術の流れをくむ合気道も、剣の動きに沿って体をつかわなければ出来ないようになっているはずで、剣でその感覚を身につけなければならないと考える。

例えば、剣は刃筋が立っていなければ切れないわけだから、合気道で技をかける場合も、刀に見立てた手の平や手は、要所々々で立っていなければならないのである。

剣の素振りは誰でもできるし、けっこう飽きずに長年やり続けることができるようだ。しかし、物事はやらなければならないが、ただやればよいということではない。逆に、やることによって、害になることさえある。剣の素振りの場合は、肩を痛めることである。理に適ったことをしなければ、害になるのである。

つまり、合気道の修練において、剣や杖の素振りの稽古は必要だが、間違ったことをすれば、合気道の上達の助けになるどころか、害になるということである。

それでは、合気道を修行する上で、剣や杖の得物をどのようにつかっていけばよいのか、ということになる。それは、次回にしよう。