【第311回】 稽古も集大成で

仕事でよい成果をあげるための必要条件は、やってやろうではないかという意思、リズムやタイミングや勢い、そして、そのために必要な知識、知恵、情報、経験などの集大成とその活用であろう。

稽古でも同じであろう。合気道を精進していくためには、体力のほかに、精進しようという気力(意思)や、止まることがなく、無駄のない拍子、自然のリズムやタイミングに合った動き、それに自分の中にそれまで培ってきた技、術、動き、知恵、知識の集大成を活用することであり、その集大成で常に最高の稽古をしていかなければならない。

集大成とは、多くのものを集めて一つのまとまったものにすること、また、そのもの、ということである。

集大成しようとすることによって、自分がやってきた体験、見たこと、聞いたこと、読んだこと、試したこと、成功や失敗したことが、その一瞬に集まり、つながってくる。今まで稽古したこと、生きてきたことが、生かされることになるのである。

やりやすいこと、自分の好きなやり方や得意なことだけをやろうとすると、それまでやってきたその他のことが蚊帳の外におかれ、いずれ忘却の彼方に追いやられることになる。そうなると単純な人生になってしまうし、単純な稽古、技にもなってしまう。

集大成して技をつかえば、それが次にはさらに大きな集大成となる。集大成で稽古を続ければ続けるほど、集大成はどんどん大きくなる。また、書籍やDVDで合気道や武道の研究をしたりするだけでなく、合気道に直接関係のなさそうなことでも集大成して大きくすれば、技をつかう際に大いに助けとなるはずである。

すると、仕事でも日常生活においても、見聞きしたり体験するすべてのことが、集大成の中に入り込んでくるはずであるし、そうならなければならないと考える。これが、生きるということ、そして、日々生きていることが稽古である、ということになるだろう。

人が違えば、体験も違うし、すると集大成も違ってくる。他人はどうでもよい。自分がどれだけ自分のものを集大成でき、それを稽古でつかえるか、そして、最後にどれだけ集大成できるか、が大事なのである。