【第305回】 結びがすべての元祖

合気道は技を練磨して精進するが、通常は相対で相手に技をかけたり受けを取ったりして稽古をする。相手に技をかけて倒れれば、うまくいったとうれしくなるし、倒れなければまだまだと思い、失望したり、腹を立てたりすることだろう。しかし、誰もが経験している通り、技などそううまくかかるものではない。相手に技がかかるためには、必要条件がある。

形稽古をやっている間は、相手を倒す必要条件の筆頭は力であろう。形稽古とは、あらかじめ順序と方法を決めて稽古をすることである。まだ技をつかうことはできないので、頼りになるのは力(腕力)にならざるを得ない。従って、体力があったり力がある者には、結局は敵わないはずである。だから、形稽古で相手を制したいと思えば、力をつけることである。

形稽古から抜け出して、技稽古、技の鍛錬にいくのは、難しいことかもしれない。それまでの力に頼るのではなく、技をつかって制していかなければならないからである。だが、技を会得するためには、腕力に一時ご遠慮願うことになるので、力を抜かなければならないことになり、一時は弱くなる宿命にある。そのため、自分は下手になったのではないか、このままでいいのか、本当に上達するのか等々と心配したりするものである。それに耐え、そして自分を信じて稽古を続けていくのは大変だろう。

技をつかうに当たっての必要条件の筆頭は、先ずは触れた相手をくっつけてしまうことである。合気道的に言えば、「結ぶ」ことである。これ無くしては、技はつかえないといっていいだろう。なぜならば、相手とくっつかなければ、自分と相手の二人が別個に存在するわけだから、意志も行動も別々になり、往々にして争いになるわけである。相手とくっつき結ぶことにより、二人が一人として一体化するので、相手は自分の心体の一部になり、こちらの思い通りに動いてくれることになるわけである。このはじめの結びがなければ、後は力に頼るしかない。最後に相手を投げたり抑えて筋つまを合わせたからいいというわけではない。何事も、はじめが肝心である。

相手をくっつける、「結ぶ」ことは、できてしまえばどうということもないが、まだ「結ぶ」ことができない人にとっては、摩訶不思議であろう。手などもくっついたら、始めから技の最後まで切れたり離れたりしないのだが、それをいくら説明されても、できないうちはできないのである。

合気道は引力の養成、つまり、ひっつく力、結びの力を養成するものであるとも言われるから、上達すればするほど、その力は強力になるはずだ。

しかし、人の身体は糊でもないし、磁石でもないのだから、他人とくっつくとは不思議である、と当然思うことであろう。

科学は発達しているということであるが、人間にはまだまだ分からない事が多いと思う。このくっつくということも、そうである。しかし、開祖は、これは身体からの「ひびき」のなせる業であると言われている。今の科学で言えば「波動」ということになるのかも知れない。

つまり、こちらの「ひびき」(波動)と受けの相手の「ひびき」が同調するということであろう。しかも、体(魄)の同調だけでなく、心(魂)も同調し、その心が体を導くようになるから、仕手の心のなせるままに、相手の心そして体が動いてしまうことになる。不思議なのは、たとえ相手が抵抗しようと試みても、同調してくっついていれば力で抵抗もできないし、気持ちよさように受けをとることである。

「結び」をして相手と一体化してしまえば、技が生まれやすくなってくるから、あとは技を見つけ、そして身に着け、会得していけばいいわけである。これで技の練磨の合気道ができることになる。

一体化できなければ、技の会得はできないだろう。先ずは相手と「結ぶ」ことであり、これが大前提である。開祖も、「五体のひびきの形に表れるのが『結ぶ』である。すべての元祖である。元祖は武の形を現わし、千変万化の発兆の主でもある。」(「合気神髄))と言われている。

「結びがすべての元祖」であるから、技をかけるときは、先ず相手と結んでから始めなければならない。結びは元祖、MUSTである。