【第303回】 武道の基と合気剣

開祖は、合気道は総合武道であり、武道の基であると言われていた。だから、武道を志す者は、合気道もやるべきであると、暗に言われていたように思える。確かに、柔道、相撲、剣道、空手道、居合道、薙刀道などの武道界での名のある方々が、開祖のもとに集まられていた。

しかし、当時は、開祖に実力があったのでその分野の方々が開祖のもとに集まられたのであって、合気道が総合武道であり、武道の基であるから集まられたのだとは思えなかった。

しかしながら、開祖が言われた合気道は総合武道であり、武道の基であるということが分かってくると、自分の未熟さを棚に上げて開祖の言われた事を信じることができなかったことを、反省するばかりである。

それを気付かせてくれたのは合気剣であり、剣道と合気道の剣である合気剣の違いである。

剣の素振りを合気道家が剣道家のようにいくらやっても、剣道家のような早い打ちや強い打ちはできないはずである。しかし、開祖は当時一流の剣道家に、剣を触れさせることさえさせない実力をお持ちだった。当時は、これは開祖が剣や槍を免許皆伝まで修行された実力によるものであろうと考えていた。

しかし、それもあるだろうが、その考えは根本的に間違っていた。開祖は、合気道の技と身体使いで、剣を使っていたのである。つまり、合気道の技の身体使いで、剣をつかわれていたのである。手の延長に剣があり、体が動くことによって、剣が働くのである。これを開祖は、合気剣と言われたのだと思う。

合気剣とは、合気道の徒手の動きに剣を持ってつかう剣である。剣道は剣の操作から体をつくっていく、言うなれば、外から内への練磨であるが、合気剣は、合気道の技の中に身体を入れて体をつくり、その身体で剣をつかう、内から外への練磨と言えよう。

かつて開祖は、道場で稽古人が木剣や杖を振っているのを見つけると、激しく怒られたものだった。しかし、当時は誰にも、なぜ叱られるのかがよく分からなかった。道場には、木刀も杖も備えられていたし、昇段試験には太刀取りや杖取りもあったのであるから、不思議に思ったものだ。

しかし、これは今思うと、先ずは合気道の技をしっかり練らないと、ワシのように合気剣が使えるようにならないぞ、また、剣をいくら振り回しても、合気剣にはならない、という開祖の教えと戒めだったのだろう。

剣道の真似をして剣を振るのも、鍛錬にはよいだろうが、合気剣を使いたければ、まずは合気道の技の練磨をしっかりやり、合気の身体と動きができるようにしなければならない。合気の身体と動き(技)ができてくれば、それに杖を持てば合気杖、薙刀を持てば合気薙刀、槍を持てば合気槍等などとなるわけである。
このような理由から、合気道を武道の基といい、合気道は総合武道ということになるのではないかと考える。