【第298回】 魄から魂への稽古
合気道で、高齢者の稽古のモットーは、少しでも長く稽古を続けることではないだろうか。病気にならない、怪我をしないなど、生きていく上での注意のほかに、稽古では無理をしない、力を有効に使う、争わない等が大事である。
このためには、魄の稽古から脱して、魂の稽古をするようにしていかなければならない。魄力ではなく魂の力、魂力でやるのである。魄力には限界があるが、魂力には限界はないといわれる。道に乗れば、魂力は、年と共にどんどんついていくはずである。100歳位まで魂力の養成ができれば、腕力のある若者でもチョチョイのチョイと制することができるようになるかもしれない。
魄の稽古から、魂の稽古、魂力を養成する稽古に変えるのは、難しいことではないはずだが、実際には難しいようである。なぜなら、これまでやって積み重ねてきた事を、一度忘れなければならず、ゼロから再スタートしなければならないからである。
そのためには当然、一度、弱くなるので、上に立って後進に教えているような人などには、大決心がいることだろう。決心がつかなければ、以前の路線、魄の稽古を続けることになるが、別にそれも稽古であるから、続ければよい。しかし、残念ながら、すぐ目の前に大きな壁が立ちふさがってくるはずである。その壁にぶち当たって挫折を感じ、修行を中断するというのが、一般的なパターンとなっているように思えるので、注意しなければならない。
厚い壁に阻止されず、稽古を続けるためには、魄から魂の稽古に変えていかなければならない。そのためには、稽古を変えていかなければならないだろう。以下、どのように稽古を変えるべきなのかを、思いつくままに列挙してみる。
- 形から技の練磨に変えなければならない。形だけでやれば、腕力が必要になるので、体力や腕力の強い相手には敵わない。強や大を制することができるのは、技である。
- 先ず相手と結んでから、技を使うようにする。結ばずに技を使おうとしても、技にならないものである。結んでないと、手だけをばたばた動かしてしまうからである。相手と結べば、自分の体の中心にある腰腹と相手が結ぶので、腰腹で相手と対話しながら、導くことができるようになる。
- 技をかける際に、末端の手や足から動かさず、体の中心の腰腹から動かすことである。自分の体と心が、よく見えてくるようになる。
- 動きに合わせて息をするのではなく、息に合わせて体を使い動く。体はなかなか気持の通りには動いてくれないものであるが、息が気持と体を結んでくれるので、息によって気持(魂)が望むように体を動かしてくれる。
- 気持をこめて体を使う。魄の稽古のように、体が自由勝手に動くのではなく、気持(心)に従って動くようにするのである。これは心主体従であり、魂が魄の上にあることになるだろう。
- 最後に書くことになるが、本来は最初にくるべきことである。それは「天之浮橋に立つ」ことである。技を思い通りに出してゆくためには、天之浮橋に立たなければならない、天之浮橋に立って、「体と精神と共に、技を生み出してゆく」(武産合気)のであると、開祖は言われている。
開祖はまた、「天の浮橋は、丁度魂魄の正しく整った上に立った姿です。これが十字なのです。これを霊の世界と実在の世界の両方面にも一つにならなければいけない。」と言われているから、天之浮橋に立てれば、魂も身についたことになり、魂魄がバランスが取れた霊と実在が合わさった摩訶不思議な技が使えるようになるはずである。
天之浮橋に立たなければ、実在の世界にある魄がしゃしゃり出て、魂魄のバランスが崩れるので、魄の稽古になってしまうことになる。
このような稽古をすることによって、魂(気持、心)が魄(体)を支配、制御するようになり、魂が魄の上になるようになるはずである。
この「魂が魄の上になる」ことを会得して、長く稽古を続けるとともに、魄の世の中を、魂が上になる世の中に変えていきたいものである。
Sasaki Aikido Institute © 2006-
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