【第298回】 空の気と真空の気の結び(道歌11)

技を練磨して精進していく合気道の稽古は、一見自由で何でもありのようだが、これをやらないと技が生み出せないし、合気道を会得できないといわれるものがある。

例えば、何度も書いてきたが、技を生むにあたってはまず「天之浮橋に立たなければならない」のと同じように、空の気と真空の気を技に結びつけなければ、合気道は会得できないということである。

それを開祖は道歌で、
真空の 空のむすびの なかりせば 合気の道は 知るよしもなし
と詠われている。

以前も「真空の気」「空の気」を7回も書いたが、まだまだ十分にわかっていないかったようだし、自分も満足できなかったので、また、挑戦してみることにする。まだ会得したわけではないが、また少し感じるところがあったので書いてみよう。

最近では、「空の気」と「真空の気」はこのようなものかということを、技の稽古で実感している。

「空の気」とは、それがあるから五体は崩れずに保っていて、重い力をもっている。また、空の気は引力を与える縄であり、自由はこの重い空の気を解脱せねばならない。これを解脱して、「真空の気」に結べば技がでる等と、開祖は言われている。

そして、「真空の気」は、宇宙に充満しており、宇宙の万物を生み出す根元。身の軽さ、早業は、真空の気をもってせねばならない、と言われている。

合気道は引力の養成でもあるが、引力を与える縄であるから、相手をくっつけてしまうものが「空の気」であろう。長年、合気道の稽古を積んでいくと、引力は強くなっていくようなので、空の気も強まったり増大するといえるだろう。

また、この相手をくっつけてしまう空の気は、重いといえるだろう。自分でも感じるが、相手の方がその重さをよく感じるようだ。開祖や有川師範のような名人や達人の傍にいると、重苦しい重圧を感じるのはそれだろう。

この重い「空の気」で相手をくっつけたままでは、技を使ったり、技を生んだりすることはできないはずである。なぜならば、相手がくっついたまま離れないとか、相手が剣など振り下ろしてくれば、その剣までくっつけてしまい、切られてしまうことになるからである。

相手に掴ませた手で技をかける場合でも、相手がスキなく掴んでいる場合、つまりずっと手の平が張り付いている場合には、技は効かない。たとえ相手が手を掴んでいるとしても、強くつかませたり弱くつかませたり、または離させたりしなければ、技にならない。例えば、交叉取り二教をやってみればよい。しっかり抑えられた手をただ動かしても、動く事もできないし、技にもならないものだ。

これ(交叉取り二教)をうまくやるためには、空の気と真空の気を使わなければならない。先ず、重い「空の気」で相手をくっつけて、自分と一体化する。次に、左右に体と手を転換するが、くっついている相手の手にあった意識(念)をそこから消し去り、意識と体を宇宙の法則であろう陰陽、円の巡り合わせ、螺旋に切り替える。そして、また「空の気」で相手を抑えたり、極めたりする。つまり、「空の気」―「真空の気」―「空の気」と使うはずである。

早技になれば、重い「空の気」を解脱し、「真空の気」に結んでいることになったといえよう。身の軽さ、早業は、「真空の気」をもってせねばならない。典型的な例として、「太刀取り」があるが、なかなかうまくいくものではない。大体は、不動金縛りにあったように動けなくなるか、逃げるかである。相手が打ってくる太刀の重い空の気に縛られるので、うまくいかないものである。

「太刀取り」がどこまで上手くいくかいかないは別として、必須のポイントがある。先ず、剣を振り上げた相手と対峙したら、重い「空の気」の引力で相手と結ばなければならない。相手と結べば相手は自分と一体化し、自分の分身になるから、分身(相手)の動きや心が読みやすくなるわけである。

次に、相手に打たせたら、それまで相手と結んでいた「空の気」から解脱し、心を無にし、念を消し、体は宇宙の営み、宇宙の条理に則った技(入り身・転換)の中に入れ込んでしまう。相手は打ったという手ごたえがあるはずだが、現実にはそこに何もないので、つんのめったり、たたらを踏むことになるはずである。

大事なことは、相手と対したら先ず相手と結んで一体化することである。気持がぶつかったり、逃げれば、一体化はできない。

次に、この「空の気」から解脱するのが難しい。どうしても相手の剣や体に気持が残ってしまうので、「空の気」に捉まったままで、解脱ができないのである。この「空の気」を解脱するには、自分の「空の気」を完全に消し、真空となって身体を捌くことのようだ。つまり、真空とは心を空にする、念を消すということでもあるのだろう。

これができれば、「空の気」は引力を与える縄である、自由はこの重い「空の気」を解脱せねばならない、また、これを解脱して「真空の気」に結べば技がでる、ということが理解できるだろう。

「空の気と真空の気の結び」は、合気道を修行していく上で、どうしても避けて通れない課題なので、まだまだ研究が必要のようだ。
真空の 空のむすびの なかりせば 合気の道は 知るよしもなし
を肝に銘じて稽古をしていかなければならない。