【第294回】 足遣い

手の遣い方も難しいが、足の遣い方はさらに難しい。初心者は手の遣い方は研究しようとしても、足の遣い方までは気が回らないか、その研究までは行き着かないものだ。足の遣い方まで研究が進めば、上級者の仲間に入ったといってもいいだろう。

武道の足は歩むように遣え、といわれる。これは、ふだんの歩みの中で技をかけても、技が効くようになれという目標かもしれないが、武道であるから、ふつうの道を歩く歩みではないはずである。

武道には、武道の歩み方があるはずだ。例えば、武道では体重を力として活用するわけだから、効率的な体重の移動は重要である。そのために、体の中心線の真下に落ちる体重を、着地足の上にのせるように移動しながら、歩を進めなければならない。つまり常に一軸で、歩を進めるのである。

次に、武道であるから、動きの中に隙をつくらないことである。動きに隙ができるということは、動きが切れることであるから、動きが切れないようにしなければならない。

人は二本の足で歩くので、通常、片方の足からもう片方の足に体重が移動する時に、どうしても動きが切れてしまう。なぜ切れるかというと、足を下におろして、次に反対の足を上げるからである。つまり、足が縦―横ではなく、縦―縦で動いているからである。

隙のない動きで体重を移動するには、足も縦―横―縦と十字につかわなければならないだろう。踵に縦に下ろした体重を、今度は、踵、小指球、拇指球と横に移動する。体重が拇指球にくると、その体重は他方の足にスムーズに移動するので、動きが切れず、隙のない歩みになる。

合気道の技は、宇宙の営みを形にしたものであり、宇宙の条理・法則に則っているといわれる。つまり、合気道の技を練磨するにあたっても、体遣いに法則性がなければならないはずである。従って、足遣いにも法則性がなければならないだろう。

この足遣いの法則性で最も分かりやすいのが、右左を交互に遣っていくことである。人には左右一本ずつの足があって、左右交互につかって体を移動するようにできている。右、左、右、と交互に歩まず、右、左、左等となるのは、つまずくとか、つんのめるとかの不慮の事故などによる不本意な動作であり、不自然な歩みである。技を掛ける際にも、自然の足遣いでなければならないだろう。

例えば、正面打ち一教(右半身)で技をかける際、体重がかかっている後側の左足から、前の右足へと進むので、左、右、左、右、左(左膝で相手の脇腹に触れるようにつま先を立てて座る)、右(右膝に体重を移しながら両手であいての腕を抑える)と進むことになる。さらに、右膝を支点に90度転換し、左足に重心を移しながら立ち上がる。このように左、右、左、右、左、右、左と、足を左右につかうと、七歩で完了するはずである。

正面打ち一教(右半身)の裏の場合も、手と足は、左(重心)、右(相手の手首)、左(相手の肘)、右(足と共に転換)となる。 うまくいかない大きい原因としては、転換する際に、右に体重を乗せて移動するところを、相手の肘を抑えた時の左足を支点として転換しているからである。転換して、外側の右足に体重が集まるようにすれば、うまくいくはずである。

この一教裏と同じことが、入り身投げの裏にもいえる。左(重心)、右(相手と手刀が合う)、左(入り身で入る)、右(体の転換)、左(相手を回す)、右(相手を崩す)、左(相手を浮かせる)、右(相手を倒す)となるはずであるが、相手を回した時の左足に重心を掛けたまま投げようとするので、力が相手とぶつかってうまくいかないのである。
技をうまく掛けるには、足が左右交互に動かなかったり、居着いてはならない。

足は、手のように思うようには動いてくれないものである。手の働きは頭にあると言われるように、頭で操作できるようだが、足は頭から指令を出しても、指令通りにはなかなか機能してくれないものである。

ではどうすればよいかというと、考えなくともそのように動いてくれるようにすることであろう。そのためには、その動きが自然にできまで、先ずは意識して稽古するしかないだろう。例えば、技を掛けながら、足を右、左、右、左・・・と意識しながら進めていくのである。初めの内は、足以外の他のところは無視して、足の右、左・・・だけを意識し、場合によっては心で唱えながら稽古することである。

先述の「足は歩むようにつかえ」は、いろいろな意味があるだろうが、先ずは足を左右交互に、滞りなくつかうということとし、それを試みるとよいだろう。