【第293回】 テーマを一つに絞って稽古する

長年稽古をしていると分かってくるが、体というものは、自分の思うように動いてくれないものだ。特に、年を取ってくると、その傾向は増してくる。

合気道の稽古で分かるだろうが、体は好き勝手に動いてしまったり、動きやすいように動いたり、以前から慣れ親しんでいる動きをするものだ。

それ故、ただ稽古を続けても、肉体が改善したり、動きがよくなったりすることは期待できない。だから、技が上達することは難しい。間違ったこと、つまり、肉体や動きに害を及ぼすことをすれば、体を壊すことにもなる。おおげさに言えば、体を壊すために稽古をやっていることになってしまう。

稽古は積み重ねていって上達するものであるから、稽古を長く継続していかなければならないし、一回毎の稽古で何かを得ていかなければならない。

人は一度にたくさんのものを見、同時にいろいろなことを考えることはできない。七人の人の話を一時に聞かれた聖徳太子は、人のできないことがやれたから、歴史にその偉業が残っているわけである。誰にでもできるのなら話題にはならない。

われわれ凡人は、ひとつの時と場所では、ひとつのことを着実にやっていくのがよいようだ。合気道の道場稽古においても、稽古テーマを一つに絞ってやるのがいいと思う。

先ず稽古が始まる前に、今日の稽古のテーマを決めるのである。テーマによっては、稽古相手を選ぶのもよいだろう。例えば、新しい技を試してみたいなら、あまり体力がなく、柔らかい体の人がよいだろうし、呼吸力を試したり、付けたいときは、大きくて重量や体力のある人がいいだろう。

大事なことは、テーマを決めたら、そのテーマひとつに絞って稽古をしていくことである。たとえ相手が多少頑張ったり、うまくいかずにぶつかっても、そのテーマを追求していくことである。もちろん、これは容易ではない。悪魔の声が邪魔するのである。内面からの悪魔の声が聞こえると、やろうとしたテーマの稽古は忘却の彼方へと追いやられ、「おのれこしゃくな!」となり、違った稽古になってしまって、結局は収穫のない稽古になってしまうことになる。

稽古のテーマは、その人によって違うはずであるし、同じ人でも、どんどん変っていくはずである。例えば、足を左右を規則正しく使うとか、手も左右陰陽でつかうとか、手の平を十字に反しながら使うなど等、いろいろあるだろう。

一つづつでよい。テーマを絞って稽古していくのがよい。この稽古法は、特に、高齢者には適していると思う。

遅々としたものであっても、着実に何かを身につけていく稽古が、高齢者には無理せず、稽古を長続きさせることになる。高齢者にふさわしい稽古法といえるだろう。