【第291回】 練磨とは

合気道は技の練磨を通して精進していく武道であるといわれるが、この「技の練磨」の"技"と"練磨"をよく理解していないと、技の練磨ができず、合気道の精進がないことになってしまうだろう。

合気道の技は、宇宙の営みを形にしたもので、宇宙の法則、宇宙の条理に則っていなければならない。この技を練磨するということは、まず、宇宙の法則・条理を見つけること。次にそれを自分の体と動きに入れていくこと。つまり、技の中に自分を入れていることである。

この技に自分を入れていくために、そして、宇宙の法則・条理を見つけていくために、技の形がある。いわゆる正面打ち一教とか片手取り四方投げである。無限にあるだろう宇宙の法則・条理をどんどん見つけて、それを身につけ、技に自分を取り込んでいくのが、技の練磨であると考える。

しかしながら、これらの技が身についてきても、相対稽古の相手に技が効くという保証はない。特に、体力がある相手が真剣に抑えてきた場合などは、技に頼っただけでは上手くいかないものである。上手くいかないと、だいたいは腕力でなんとかしようとするが、それでは合気の道を外れてしまうことになる。

技も要るが、力も要る。力はあればあるほどよい。しかし、この力は技からの力、技を伴った力でなければならない。そうでない力を、腕力ということにする。世の中には、腕力の強い人は沢山いる。合気道は、そのような力と競い合うものではないが、そのような強い腕力も少しでも制することができるように、力もつけていかなければならない。

合気道は、腕力でない力をつけなければならないが、まず、それはどういう力なのか考えてみなければならない。一言でいえば、合気道での力は、呼吸力という事になると思う。

呼吸力というのは、引力を有する力である。くっついて離れない力である。相手と、そして万有万物、宇宙と和合する力である。だから、合気道は呼吸力の養成である、ともいわれるのである。 この呼吸力は、宇宙の法則・条理に則った技で、はじめて身につくはずである。ただ腕立て伏せをしたり、バーベルをあげてもつくものではない。従って、呼吸力を養成するためには、技を身につけ、そして、その技で力をつけていかなければならないだろう。

技が身につくまでは、力をセーブしなければならないが、技が身についてきたら、力一杯力をつかっていけば、呼吸力がついてくるはずである。これが次の練磨だと思う。

つまり、合気道の技の練磨には、はじめの形の練磨を加え、技の練磨と呼吸力の練磨の三つがあるといえるだろう。