【第29回】 鎮魂

合気道の稽古をする場合、稽古に気持ちが集中すればするほどいい稽古ができ、得ることも多い。逆に集中していないと得ることがないばかりか、自分が怪我をしたり、他人に怪我をさせてしまったりすることさえある。

気持ちを集中するということは、魂を鎮めることであり、鎮魂といわれる。「鎮魂とは、遊離の魂を自己の丹田に集めることである。遊魂を集めることです。」(武産合気)つまり、自分の魂を自分の肉体に納めることで、その結果気持ちも落ち着き、集中できるのである。

道場に入って稽古を始めるときでも、家で自主稽古をする場合でも、通常はいろいろな雑念が頭にあったり、引きずっていて、なかなか稽古に集中して入っていけないものである。そのため、集中できないし、真の稽古にもならない。

従って、稽古の前は鎮魂して遊魂を納めなければならない。私が入門した頃は、準備体操(運動)などはやらなかった。代わりに、船こぎ運動(鳥船)と振魂は必ずやったものだ。これで合気の世界に入っていったのだった。準備体操の代わりに、体捌き、転換、入身転換、片手取り・両手取り・諸手取り呼吸法などをやって体を慣らした。

船こぎ運動や振魂は、最近では本部道場でも、道主の朝稽古ぐらいでしかやられてないようだ。大体の稽古時間は、一般的な準備体操で体をほぐすだけなので、気持ちや魂を納めるものではない。従って、鎮魂は各自でやって稽古に臨まなくてはならないことになる。

しかし、いかに鎮魂するかは各自で考えてやらなければならない。船こぎ運動と振魂をやるのもいいだろうし、杖による神楽舞でも、また、自分に合っていれば他のものでもいい。開祖も「昔の鳥船の行事とか、あるいは振魂の行事ではいけないのです。日に新しく日に新しく進んで向上していかなければなりません。」といわれているわけであるから、新しく、自分の鎮魂法を考えて行えばいいわけである。もちろん、合気道の稽古そのものが鎮魂となっていなければ、真の稽古ではない。
稽古前にぺちゃぺちゃ話すよりは、鎮魂のほうが重要である。