【第289回】 気 (道 歌 3)

合気道という名前はすばらしいと思う。これは、気を合わせる道ということだろうが、よく考えてみると、合気道という語をよく解らないまま使っているのではないだろうか。別に意味がよく解らなくても、稽古をやっていけるのだからよいだろうが、合気道の意味が解って合気道の稽古をやっていった方が、より上達するはずだ。

しかし、「気」がどんなもので、どのような働きがあるのか、具体的な説明はないようで、理解が難しいかもしれない。今回は、この「気」について考察してみたいと思う。

「気」に関する具体的な説明はないようだが、次の開祖の道歌にそのヒントがあるように思われる。

こんげんの 気はみちみちて けんこんや 造化もここに はじめけるかな
(根元の 気は満ち満ちて 乾坤や 造化も ここに始めける哉)

この意味は、「物事の一番の元になっている気が充満しているが、天地や神もここから出現されたのだなあ!」ということだろう。

この歌からは、「気」とは万有万神の元、万物が生じる根元であり、生命の原動力となる勢いがあり、見えないが宇宙に充満しているもの、ということになるのだろう。一言でいえば、気とは宇宙生命力ということになるだろう。

「気」を宇宙生命力とすると、「合気」とは宇宙生命力と和合すること、一体化すること、ということになり、「合気道」とは開祖がいわれているところの、宇宙と一体化するための精進の道、ということになる。

開祖は「合気の稽古はその主なものは、気形の稽古と鍛錬法である。気形の真の大なるものが真剣勝負である」といわれているが、ここで気形というのは、宇宙の生命力、宇宙の営みを形にした技、ということになるだろう。

なお、「気の御わざ」を詠った歌は三首あるが、「気」を詠ったものはこれ一首だけである。