【第288回】 後進へ何をどう残すか

合気道の教えでは、各自にはそれぞれ与えられた使命があり、その与えられた使命を果たすべく精進していかなければならない、とある。一元の大神、「ス」の本を真として、そこから万有万物が創造され、分身分業し、それぞれ使命が与えられ、その使命を果たすべく精進しなければならないといわれている。

合気道には勝ち負けはないが、合気道では、「勝つとは己れの心の中の『争う心』に打ち勝つことである。己れに与えられた使命を成しとげることである」ということである。

何もなかった宇宙(時間と空間)でビッグバンがあり、そこから多種多様なモノが創造されてきているわけだから、すべてはこのビッグバンの本に繋がっていることになる。大元が一つなのだから、人は国や地域、時代や時が違ってもすべて兄弟ということになるし、他の動物や生物は親戚ということになり、赤の他人でも敵でもないのである。

合気道ではまた、人も万有万物も地上楽園をつくり、宇宙の完成を達成するために創造されたのだと教えている。

この考えは、まだ世の中の定説にはなっていないが、確かに世界、宇宙はある方向に向かって進んでおり、何かを完成しようという意志で動いているように思えて仕方がない。例えば、真善美の探求である。美しいものは時代や地域によって変わらないし、いつの時代、場所においても追求されているものだ。また、悪いことは悪いし、悲しいことには泣いたり、嬉しい時には笑うのも、同じである。そして世界は大局的には、美しさを求め、笑いを求め、真を求める方向に向かって進んでいるように見える。

ビッグバンから137億年が経ったといわれるが、その間、多くのモノが生まれ、そして死滅する、を繰り返している。この生と死を繰り返すことによって、地球楽園と宇宙完成に近づいているのだろう。

従って、生と死が単純に繰り返されているのではなく、同じ生と死がただの円の繰り返しではなく、螺旋の繰り返しで進んでいるのだろう。これを開祖は道歌で、「いきいのち廻り栄ゆる世の仕事」(「いきいのち廻り栄ゆる世の仕事たまの合気は天の浮橋」)と詠まれている。

一人の人間で地球楽園をつくることもできないし、宇宙を完成させることもできない。各自が一人一人に与えられた使命をそれぞれ果たしていくことによって、長い時をかけて完成に近づけていくしかないはずである。

合気道は、宇宙の生成化育のお手伝いをするための真人を養成するところであるといわれる。合気道の創始者の植芝盛平翁が言われているのだから、それを信じ、真人になるように精進しなければならないだろう。

真人は一代限りものではなく、未来につながるものでなければならない。後進の真人を育てるのも、先人の真人の役割である。もし、先につながらずに途絶えてしまえば、その人の使命は果たせなかったことになり、負けとなる。

真人は「いきいのち廻り栄ゆる世の仕事」をするので、先人の仕事を正しく受け継ぎ、そしてそれを拡大・改善して、後進に継承しなければならない。この螺旋の継承が数百年、数万年、数億年続けば、地上楽園、宇宙完成に近づくべく、だいぶお役に立つことができるかもしれない。これは、やるだけやって、あとは後進に期待するしかない。

合気道は真人の養成であり、まず自分が真人になるよう精進しなければならない。そして、後進の真人を育てていくのである。それは、凡人には容易なことではないだろう。

唯一できることは、精進の姿を見せることである。子供は親の背を見て育つというように、背中を見せて育てるのである。親がガミガミいっても子供は聞かないように、お節介をすることはない。もし背を見せても、後進が育たないようなら、実力がないか、一生懸命さが足りないだろう。これでは残念ながら、自分の負けとなる。