【第286回】 合気十(あいきどう) (道歌1)

第284回で道歌について書いたが、道歌とは言葉や文章では説明し難い極意や奥儀を、三十一文字(みそひともじ)で詠んだものである。簡潔ではあるが、一文字一文字に深い意味がり、そしてその難解の文字が組み合わされているため、非常に難解である。難解なのは文字の意味だけではなく、そのレベルでなければ理解することが難しいということである。

さらに難しいのは、文字や言葉を追うだけではだめで、感じなければならないことである。道歌が詠われたのは、そこに感動があったからであろう。感じる、つまり感動するためには、道歌をつくられた方の心に共鳴しなければならないということであろう。

そのように道歌に感動し、道歌から奥儀や極意を得るのは難しいわけだが、開祖の道歌が難しいからといって逃げていては、合気道の精神にも反するし、開祖も悲しまれるはずである。

合気道の奥儀と極意は、道歌にあるといってもよいだろう。まずは、技の練磨と同じように、正面から魂魄でぶつかることから始めなければならないと考える。解る解らない、失敗するしないは、ぶつかってやってみてからのことである。一つの解釈ができたら、誰か(筆者も含む)が後でこれに足したり引いたり消したりして、完成に近づけていけばよいだろう。

とりあえず、開祖が詠まれた道歌に挑戦していってみることにしよう。取り上げる順序やタイミングには、意味も規則性もない。
まず今回は第一回目として、
ありがたや 伊都とみづとの合気十 ををしく進め 瑞の御声に
を取り上げて、解釈を試みてみることにしよう。

解釈に当たって、まず、文字の意味を調べなくてはならない。それを解釈してみる。

従って道歌の大意は、
「厳と瑞の十字から成る合気道はありがたいものである。宇宙創造のエネルギーを受けている瑞の神様の声を感じつつ、合気の道に専念して進んでいきなさい」となるだろう。

開祖の道歌には、この歌の他に次の2つの歌に十字(十字道、合気十)が詠われている。合気道を修行する上でいかに十字が重要なのかを示されていると思うし、十字が分からなければ合気道も解らないということだろう。

天地の 精魂凝りて 十字道 世界和楽の むすぶ浮橋
(試解釈:天(縦)と地(横)の魂でできている十字の道は、世界を完成にむすぶ浮橋である)
千早ぶる 神の仕組みの 合気十(どう) 八大力の 神のさむはら
(試解釈:強大な神の仕組みである十字の合気の道は、大きな力(動、静、引、弛、凝、解、分、合などの引力である八大力)をもつ神様が、すべての邪気を一瞬にして淨めてしまう神業である。)
(注):千早ぶるは、神にかかる枕詞
    さむはらは、いかなる業をも、一瞬にして淨めてしまう神業