【第285回】 技を出す

稽古を長年やっていると、誰でもかならず大きい壁にぶつかるはずである。長年とは、稽古を始めたときから、やがて壁が立ちはだかり、どうしてよいか分からなくまでの年である。長年といっても、人によって異なるだろうが、一般的には20年、30年ぐらいだろう。

稽古を始めてから10年ぐらいは、技を覚え、合気の体をつくるので精一杯であろう。

体もでき、力もつき、技も覚えて、そして二段、三段になってくると、稽古相手を気持よく投げたり、抑えたりすることができるようになり、合気道の技はできたと思うようになってくる。

あとは、技を繰り返し稽古をすれば、いずれ名人・達人になれるのではないかと張り切って稽古に励むだろう。もちろん、うまくいかなかったり、相手が動かなかったりする場合もあるが、まだ稽古の年数が少ないから、もっと稽古を続ければうまくできるようになるはずだと自分を納得させる。

稽古を20年、30年と続けていると、たいていの稽古相手には技が掛るようになるだろう。しかし、時として相手がすこし頑張ったり、相手が大きかったり、力があったりすると、技が掛らないどころか、持たれた手を動かすこともできなくなってしまうことがある。

それが再三続くと、考え込んでしまうだろう。これまでの20年、30年の稽古は何だったのか、このままで今までと同じ稽古を繰り返し続けていってよいのか、変えなければいけないとしても、どう変えればよいのか、等と考えるだろう。これが、大きな壁であり、ここで多くの人が挫折するようだ。

体力のある相手に、手を掴ませて技を掛けようとして、掴ませた手を力ずくで動かしても、動くはずがない。片手で相手の体重60キロ、70キロを動かすことなどできないという事は、考えればわかることである。これまでの稽古でやってきたのは、そういう稽古であった。初心者や受けを素直に取ってくれる相手には通用するが、真剣に稽古している相手には通用しないはずである。

そんなに稽古をしてきたはずなのに、なぜしっかり掴まれた手を動かすことができないのか。理由は簡単である。合気道の「技」をつかっていないからである。というと、技はつかっていると反論するだろう。掴まれた手で片手取り四方投げや二教の技を形通りにやろうとしたが、駄目だったのだと。

つまり、「技」と技の形(通常の武道では「形」という)の違いがわかっていないのである。宇宙の法則に則った「技」をつかわなければ、力を制することも、体力のある相手を自由にすることも、できないものである。力には、それ以上の力か、「技」で、対抗しなければならないものだ。

具体的に説明すると、手先が痺れるような腕力で手を抑える相手を自由に動かし、技を掛けるためには、先ずは、持たれた手を十字に、そして円く動かすことである。つまり、親指が上になっている手の平を横に90度(例、四方投げの場合は手の甲が上になるよう、呼吸法の場合は手の平が上になるよう)回すのである。この円の動き(縦の円とする)で相手がくっつき、相手の力みを取ってしまうのである。そして、この縦の円の動きの後に、肩や腰腹を支点にした円の動き(横の円)で手をつかえば、多少体力がある相手でも、自由に制し導くことができるはずである。

合気道は円の動きのめぐり合わせと言われる。この円の動きに気持を入れていくと、「技を生み出す仕組みの要素」(技要素)が生じ、「技」が出るのである。
その上、「技」は無限に出るというのである。

これを開祖は「円の動きのめぐり合わせが、合気の技であります。技の動きが五体に感応して、おさまるのが円の魂であります。円を五体の魂におさめると、技を生み出す仕組みの要素を生じます。生むは無限であります。」(合気神髄)と言われている。

技を出すために最も大事なものは、「円の動き」であるようだ。まずは、力の強い相手にしっかり持たせて、円(縦の円)で試してみるとよいだろう。技を出すことができれば、次の技、技要素を見つける出発点にもなるはずである。