【第284回】 バラバラが統合へ

古希を迎えると、自分もやっと洟っ垂れ小僧から少しずつ大人になってくるように感じる。それと同時に、子供たちや後進に何かを伝えていかなければならないと思うようになってくる。

なぜならば、子供の頃、学生時代、サラリーマン時代の洟っ垂れ小僧の頃などに、いろいろと生きる上での悩みや疑問があったように思うが、それに答えてくれるものも人もいなかったように思えるからである。多くの洟っ垂れ小僧は、自分の生きていく上での疑問や悩みに答えてくれるもの又は人を、求めているのではないだろうか。

合気道の修行も同じであろう。たいていの若者や後進は、いろいろな悩みや疑問をもって、稽古を続けているはずである。一生懸命に稽古に励めば励むほど、悩みや疑問は大きいものになるはずだ。悩みや疑問がないのは、一生懸命に励んでいないからと言ってもよいだろう。

一般的な生活でも、合気道においても、彼らの悩みや疑問に応えてやれるのは、我々高齢者だろう。大変なことだが、誰にでもできることであるはずだ。なぜならば、自分の体験を語ればよいからである。体験だから、実際のことであり、本や講演より真実味があり、分かりやすいだろう。

人はいざ知らず、自分の子供の頃はよく遊んだ。学校ではもちろんのこと、学校から帰っても、カバンを放り投げて遊びに出かけ、暗くなるまで遊んでいた。だから、当時の子供の遊びはほとんどマスターしていた。学生時代は、クラブに入って運動をした。中学では軟式テニス、高校では走り高跳びに熱中した。

勉強は最低しかやらなかったが、やるべき時はやった。そういうことが2回もあった。一つは、中学校3年の時の期末試験である。全学年200名の内、上位30位まで名前が張り出されるので、親のために一度名前を載せようとがんばった。それに、これは自分の将来に重要なポイントであると感じたので、がんばったのである。

順番は忘れたが、ともかくも名前が載った。これで親は鼻を高くし、私を信用したはずだ。進学することを暗黙のうちに了解させた訳である。お陰で大学、大学院、留学ということになったのだから、まさしく大事な試験であった。

二つ目は、ミュンヘン大学入学のためのドイツ語試験であった。これに受からないと滞在許可が下りないので、ドイツに留まることができなくなる。一日4時間の学校の授業と合わせて、6か月間一日10時間は勉強した。アンチョコなどは無かったので、教科書を5回は繰り返し復習して覚えた。クラスから受かったのは数人だけだったが、その中のひとりとして合格し、無事、大学に入学して、滞在許可書を貰うことができた。おかげで結局、7年間も滞在することになった。

考えてみれば、子供の頃から何でも一生懸命にやっていたが、やっていたことに繋がりはなく、それぞればらばらであった。おそらくエネルギーが溜まっていて、それを消化しようと体を動かしていたのだろうが、今思えば、無意識のうちに将来の必要性を感じたか、あるいは、何かに向かい、何かを探していたようにも思う。

大学に入ると、探しているものは「人生とは何か」ということだと分かった。図書館や本屋、古本屋でその回答を与えてくれる本を探したが、見つからなかった。本は沢山あるのに、こんな大事な事に応えてくれる本がないことに、失望すると同時に腹が立った。そんな時、合気道に入門すると、「合気道とは真善美の探求である」と教わったので、合気道こそ探していた「人生とは何か」を教えてくれる、人生の凝縮であると考えた。

合気道でも、自分なりに一生懸命に稽古をした。一日最低2時間はやったし、日曜日も道場に通った。真善美の探求を目指して稽古をした。しかし、子供の頃の遊びと同じように、それぞれバラバラで繋がらない。得意な技を繰り返してやったり、先生が示したものをただやっていただけだったり、いってみれば場当たり的にやっていただけだったのである。これが、鼻っ垂れ小僧の晩年の60歳ぐらいまで続いた。

60歳を過ぎた頃から、自分の生き方と合気道の稽古法が見えてきた。自分とは何者なのか、どこから来てどこへ行くのかを探求することと、そして使命である。使命など偉そうだが、一言で言えば、子供や後進に何かを残すことである。

自分が何者なのか、どこから来てどこへ行くのかということの探求や、自分の使命について、自分なりに納得したものを得ると、仕事でもそうだが、合気道でも、今までばらばらにやってきたことが、どんどん集まり、繋がってくるのである。それまで一生懸命にやったことに何一つ無駄はなく、すべて生きて来るのだ。もちろん、一生懸命やって失敗したこともあるが、それも自分の糧になっていた。つまり、やってみることが重要なのであって、成功や失敗はそれほど大事ではないということであった。

また、忘れているようでも、一度、見たり聞いたりして体験したことは、決して消えることはないようだ。体のどこかにしまわれているようで、必要な時には出て来てくれるのである。

若い内は、好きな事、やりたいことを、できる限りやるべきだろう。社会や親や体裁や常識に縛られず、それと戦っても実行すべきである。さもないと、もうひとりの自分が反乱を起こすか、後で後悔するか、最後の瞬間に自分の人生は何だったのかと反省することになるのではないかと思う。

若い時にやるのは、一貫性がなくバラバラだろうがそれでよい。後でそれらはすべて自分に帰ってきて実になり、花を咲かせるはずである。

開祖が、50,60は洟っ垂れ小僧といわれたが、小僧とは、自分とは何者なのか、どこから来てどこへ行くのかも、自分の使命も分からないということであり、さらに洟っ垂れ小僧のときには、バラバラにやってきたことがまだ統合されず、実を結んでいないという状態ではないかと考える。

偉人伝などもよく見かけるが、たいていは他の人が書いたものなので実感が伝わらず、あまり参考にはならないようだ。もし偉人が全部自分で書いたのなら、もっとおもしろいだろうし、若者や後進にも大いに参考になると思うのだが・・・・若者はそれの方を期待しているのではないだろうか。