【第278回】 合気剣・杖

合気道は陰陽、裏表など、矛盾だらけの稽古をするが、その矛盾に含蓄があり、そこが面白いと思う。

合気道の基本の一つは、攻撃技ではなく攻撃を制する技であり、もう一つは剣や杖を遣わずに徒手で技を掛けることである。従って、剣や杖で攻撃をすることはない。

だから、合気道の道場では、剣や杖で切ったり突いたりするような、攻撃のための使い方は教えないのである。昇段審査には太刀取りや杖取りがあるが、これは得物での攻撃を制するということで、攻撃ではなく、徒手で受けて技を掛けているわけである。

合気道の道場には、剣や杖が置かれているはずである。これは、審査やその準備のための太刀捌きや杖捌きの稽古に使うためだけではなく、道場では教えないが、自分で自主的に振って剣や杖の扱いを覚えなさいという意味で置いてあるはずである。

剣や杖は、十分に振れるようにならなければならない。剣や杖が振れないものが、太刀取りや杖取りができるわけがない。

当然、道場でどんなに剣や杖を振っても、剣道や杖道で稽古している人達には適わないはずだ。彼らは、日頃から少しでも早く相手を打ったり突いたりする稽古をしているのである。剣道や杖道のように早く強く打ったり突いたりしたければ、そちらの道場に行けばいい。

合気道の剣や杖を扱う意味は、剣道や杖道とは違うはずである。剣や杖の得物を使った稽古をするのは、合気道の技を練磨する一助であるし、合気の体をつくるための補助であるといえるだろう。

得物を持つことによって、合気の技の理合がよりよく分かり、体の遣い方も分かるし、また体に付加が加わるため、力がついて体力を増強することができるのである。

合気道の稽古は基本的に、前述の通り素手、徒手空拳である。受け側は攻撃の方法として得物を持つことはあるが、取り(技を掛ける側)は得物を持たない。だが、素手に剣や杖をもっているように、稽古をしていくべきであると考える。得物を持たずに持て、というのは矛盾であるが、これが合気道の奥の深いところである。

剣や杖を持っているつもりで体を動かすと、技の理合が分かりやすいし、体もできやすい。剣を持ったつもりになれば、まっすぐな折れない手になるし、刃筋を立てるように手を使うようにすれば、技が生きてくる。また、杖を螺旋で使えば、相手を弾いたり離れたりせずに、引き出したり、くっつけることができるはずである。

合気道の徒手での技や動き、体捌きに、剣を持てば合気剣になり、杖を持てば合気杖ということになる。合気道をやっているからといって、剣や杖をただ振っても合気剣ではないし、合気杖でもない。

宇宙の法則に則った技をつかう合気道の素手の動きに、剣を持ち杖を持ったのもが合気剣であり合気杖であろう。つまり、合気道では徒手が主であって、剣と杖は従ということになろう。

従って、剣や杖をうまく遣うことが主ではなく、あくまでも徒手が主であり、少しでもよい技遣い、体遣いをすることが最も大事である。そして、そのよい技使い、体使いをしている手に、剣や杖をもったものが、合気剣と合気杖になるのである。徒手に剣や杖を持つことによって、徒手がさらに上達するようになるのがよい。

合気剣や合気杖に慣れてくると、剣や杖を持たなくても、持った時と同じような形と動きができるようになるはずであるし、そうならなければならないだろう。そうなれば、得物を持つ一般的な武道のように、武道的な緊張感のあるメリ張りのついた、自由自在の合気の動きができるようになるはずである。