【第264回】 頭も体もやわらかく

年を取ってくると、体は硬くなってくる。骨、肉、筋肉、皮膚、血管、血液などの柔らかさがなくなってくるわけである。どれぐらいの速度で、どれぐらい硬くなるかは、人によって違う。中には、若者より体の柔らかい高齢者もいる。しかし、その柔らかい本人でも、年を取るにつれて硬くなっていくはずである。そして、誰でも最後は完全に固まってしまうことになる。

体が硬くなると、体が思うように動いてくれないようになり、気分のよいものではない。合気道の稽古で体が硬ければ、思うように動けないし、技も効かないことになる。だから、合気道の稽古の基本は、体を柔らかくするカス取りである。貯まったカスを取り、そしてカスが貯まらないようにしていくのである。

年を取ってきて硬くなるのは、体だけではない。頭もかたくなる。頑固とか、意固地は、老人の専売特許のようだ。年を取ると、これまでの考え方や見方を中々変えようとしないし、変えられないようである。人のアドバイスを聞くとか、それを試してみようということがなくなってくる。そして、ますます自分の中にこもっていくのである。

年を取って体の硬い人は、それだけ頭も硬いといえそうだ。だから、頭をやわらかくすれば、体もやわらかくなると考える。

その理由は、それまでの体と頭の関係は、体主頭従(体主霊従)で、体が頭をリードしていた。それは合気道でいう、「魄が魂の上にある」からということができよう。これを頭主体従(霊主体従)の「魂を魄の上にある」、魂(頭)が魄(体)を導くようにすればよいのだろう。

体をやわらかくするためには、先ず頭をやわらかくすることである。そのためには、それまで固持してきたことを忘れてしまうことである。忘れられなければ、無視するのである。そうすると、他人の声に耳を傾けるようになったり、自分の声が聞こえてくるはずである。その自分の声に従ってやればよい。こうやりなさい、これでよい、この息遣いでは駄目だ、十字でやれ、体の表を遣え等などの声が聞こえてくるはずである。聞こえないのは、まだ十分に頭が柔らかくなっていないのだと考えればよい。

年をとっても、体をやわらかくしようと真剣に考えて本気でやれば、体はそのように変わっていくはずである。これは、体をやわらかくする、体をつくるという一つの道、ということになり、この道にのれば、あとはこの道を進んでいけばよいことになる。

道であれば、この細い道にも宇宙の法則が働いているはずであるから、やるべきこととやってはならないことがあるし、また、その道にのれば、体をやわらかくするという目標に向かうように、何かに導かれるはずである。それを先導するのは頭(魂)であり、ついていくのが体(魄)ということになるはずである。

柔軟体操をする場合にも、ぐいぐいと力任せにやるのではなく、頭(魂)に従ってやらなければならない。浮かび上がってくる魂の声(指示)と体をつながなければならない。それをつなぐのは、呼吸である。

体をやわらかくするには、頭をやわらかくしなければならない。若いうちは力任せもいいだろうが、年を取ったら体を痛めてしまう。体はすぐにはやわらかくならないだろうが、頭はすぐにでもできるかもしれない。まずは頭をやわらかくしたらいいのだが。