【第261回】 理想の高齢者
年を取ってくると後期高齢者に興味をもってくる。90歳、100歳の所謂、老人である。
若者にも天才的な能力を持ったり、活躍したりしている優秀な人たちも沢山いるが、老人の魅力とは質が違うように思う。
例えば、どんなに才能があって活躍している若者にも敬意は表するが、羨ましいとも思わないし、若者にかえってそうなりたいとも思わない。これに反して、自分より年の上の高齢者には心から感服できるし、尊敬できる。
勿論、興味がない老人も沢山いるし、こんなにはなりたくないと思う老人もいる。それはそれで反面教師として見て行けばいいのだから、やはり教えを受けることになる。
開祖をはじめ、多くの素晴らしいお年よりに直に接したり、書籍や画像で知ったが、自分が年を取っていく道しるべになっていくはずである。
我々は「人間」と言われるように、先人と後進の間にあって、その間をつなぐものなのだろう。つまり、先人から受け継いだものを後進に伝承するのである。いいものを伝えていけば、世の中はよくなっていくわけだから、なるべく先人からのいいものを更によくして、後進に伝えていくことが人間の使命ということになろう。
今まで感銘を受け、是非、このように年を取りたいと思った老人のどんなところが感銘を受け、自分もそうたりたいと思ったのか、まとめてみると次のようになるだろう。
- 子供要素
子供のように純粋な気持ちでモノや人を見、損得なしに考えて話す
- ユーモア
深刻に考えるだけでなく、ユーモアで考え、話をする
- ロマン
完成は出来ないことを知りながら、それに打ち込む
- 死を超越
死ぬことは承知しているが、いつ死んでもいいと死を超越している
- 知恵がある
長年生きてきて得た、後進が必要とする生きる知恵がある
- 不要なことに気を取られない
世間の騒動にのらず、超然としている
- ひとつの事に命を懸けて打ち込んでいる
それを後進に伝えるのが自分の使命と思って、そのひとつに集中して生きる
こんな老人になれたらよいと考えている。
合気道を修行する合気同人としても、この線に沿った老人になりたいものである。
子供のように無邪気に損得など関係なく、好きだからやり、そんな自分を笑うユーモアを持ち、決して完成することがないと分かりながら、完成を目指すという悲劇とも言えるロマンを求め、いつ稽古ができなるなるのか、近い内に死ぬことが確実であるのに、それに捉われずに稽古を続ける。そして長年にわたって積み重なった知恵で技を遣い、合気道が自分の価値基準とし、まわりのことに煩わされることなく稽古をするようになりたいものである。
人としてよい老人になり、稽古でも若者にも合気同人として模範となる先輩の老人になりたいものである。
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