【第259回】 何が大事か

物事を考えるときもそうだし、何かをする場合もそうだが、何が大事なのかが分かっていないと、よい結果を出すことが出来ない。

世の中には多くの人がいるが、みんな一人ひとりがやるべき使命をもっているようだ。この世界は、各使命をもった人々からなるジグソーパズルのように思える。そして、このジグソーパズルの世界は、何かをするべくつくられ、何かに向かって進んでいるように思える。

人は無意識の内にその何かに向かい、ある方向に進もうとしているのだが、時として、また人によって、その方向とは違った方向に行くものだ。人を押しのけ傷つけたり、金や名誉や権力という方向に引き込まれたりして、違う方へと行ってしまうのである。無理をしたり、悪いこととは知りながら何かを手に入れたとしたら、一番大事な自分自身を傷つけ、犠牲にしていることになり、本末転倒ということになる。

人は、人として個人で生きている面と、企業などの組織で生きている面がある。人は組織で働く場合には二重、三重に何が大事なのかを考えなければならなくなるので、その判断や処理はさらに難しいことになる。

合気道の稽古でも、何が大事なのかが分かった上で稽古しないと、上達は難しいだろう。技の練磨をするにも、相手を倒すことが一番大事などと思ってやると、合気道とは違ったものになるし、鍛えるべき身体もできないから、稽古の意味が半減してしまうことになる。

また、合気道として木刀や杖を振って稽古するにも、なんのために振るのか、何が大事なのかが分かっていなければ、振る意味が半減する。意味のない稽古をしても、上達はないだろうし、恐らくその稽古は長続きしないはずである。合気道の稽古は道であるから、道にのり、そして、道を着実に進んで行かなければならない。続かずに途中でやめてしまうような稽古は、道から外れていることになる。

年を取ってくると、何が大事なのかが見えるようになってくるようだ。ものを取り巻く全体の大きな枠が見えてきて、大事なことの位置づけができるからだろう。

一番大きなものと思われるのは「宇宙」であろう。この宇宙の枠でものごとを見ていくようになるのである。

宇宙の中に地球があり、その中に日本などの国があり、そこで我々は生きている。人、犬や猫、家畜などの動物、草木の植物、また土や水、鉱物などが一緒に共生している。そして、人はいろいろな社会や場所で一緒に生きていて、それがお互いにどこかで必ず繋がっている。この中のひとりやひとつの具合の善し悪しが、まわりのすべてにその影響を大なり小なり与えることになる。

悪とはこの秩序を乱すことであり、この世界の進みを邪魔することということであるという。合気道は、この秩序を守り、みんなが楽しめる地上楽園をつくるためのものだという。開祖はこれを、「山川草木、禽獣魚虫類にまで、その処を得さしめ、共に楽しむのが合気道であります」といわれている。

人にとって、また合気道の修行で大事なこととは、この地上楽園建設の進みにお役に立つことであろう。稽古でも日常生活でも、もう一度、何が大事かを考えて、大事なことをやっていきたいものである。