【第259回】体(からだ)

だれでも自分の体のことをじっくり考えることなど、あまりないのではないだろうか。生まれてからずっと一緒であるし、自分の思う通り働いてくれているので、自分が所有する"自分"であると、当然のように思っているか、気にもとめないのだろう。

通常の生活では思うとおりに働いてくれる体だが、合気道の稽古では思うように動いてくれないということを、嫌というほど知らされることになる。師範や先輩に指摘されたり、直されることだけではなく、自分でやろうとしたことさえも思うように出来ないのである。自分の体なのに、思うように動かないのは、まどろっこしいし腹立たしいはずである。

という訳で、体は自分のものではなく、借りモノであると思うようになった。だから、自分の思うように動いてくれないこともあるだろうと、納得できる。また、借りモノの体だから、大事に扱わなければならないし、貸主さんの意志に逆らわない遣い方をしなければならないことになる。そして、最後はその貸主さんにお返しするわけである。体は自分のモノと思っていた人も、またどんなに所有欲の強い人でも、あの世までその体をもっていくことは出来ないことになっている。

体の貸主さんは、人が生まれ出て、そして去っていくところの宇宙と考える。今のところ、最も知能の高いといわれる人類でも、人どころか、蝿一匹つくることはできないのである。天体や星や鉱物や動植物、それに原子や中性子や電子などをつくった宇宙が、人をつくり管理していると考えるのが適当だろう。

だから、体は宇宙の意思に沿って使っていかなければならないことになる。宇宙の意思とは、宇宙の法則であり、宇宙の条理ということになるだろう。

人の体はミクロの宇宙ともいわれるし、開祖もいろいろと言われているように、人の体は「宇宙」と大いに関係があるようだ。両手、両足、頭、胴体で精妙に構成され、手足の関節は十字で機能するようにつくられているし、手や足が折れ曲がらないよう、又十分に力が出るよう、筋肉は螺旋についていたりする。観察していけばいくほど、宇宙と同じように無限の摩訶不思議の世界である。

体そのものが宇宙であるとしたら、その体を貸主さんである宇宙の意思に従って遣わせて貰わなければならないだろう。その遣い方を、合気道では技の練磨を通して学んでいるはずである。

宇宙の意思とは、宇宙の営みでもある。合気道では、開祖が言われている「技を生み出す仕組みの要素」を身につけることによって、宇宙の営みに同化しようとしているはずである。つまり、合気道の技の練磨を通し、「技を生み出す仕組みの要素」を身につけ、宇宙と体を一体化していくのである。

従って、合気道の修練は、宇宙と一体化する体をつくることが、大事な目標ということになるだろう。