【第256回】 体 軸

合気道開祖の植芝盛平翁は、武道的にも超人的に強かっただけでなく、その技遣いの動作の美しさも、人の領域を超えていたといってよいだろう。また、技を掛ける姿勢だけでなく、立った姿勢、歩く姿勢、座った姿勢も、乱れることがなく、力みもなく、非の打ちどころがない美しさであった。

この開祖の技の力強さや姿勢の美しさは、開祖の才能と血のにじむような修行から会得されたものであるから、我々凡人が開祖のレベルに到達することなどできないだろうが、開祖に少しでも近付く努力だけはしなければならないだろう。

運慶、快慶の仁王像をはじめ、お寺の門前に立っている仁王像は、誰でも実物や写真で見ていることだろうが、その力強さには圧倒されるのではないだろうか。仁王像にかぎらず、毘沙門天像、不動明王像、十二神将像(写真)からも同じような力強さを感じることができるだろう。

これらの像から共通して感じられる力強さはどこから来るのだろう。筋肉隆々の腕と脚、太い胴体、気魄に満ちた顔、睨みつける目などがその像を力強いものにしていることは確かであるが、それにもうひとつ、しっかりした「体軸」がその根底にあると考える。すべての体の部位からの力が体軸に集まり、その体軸が天と地を貫いていると思えるのである。

開祖の姿勢も、まさにこの天地を貫く体軸に常に貫かれていたので、押されようが引かれようが微動だにせず、しかも無駄のない美しさがあったのだと思う。

合気道では技を練磨するために、相対稽古相手に対して技が掛かるように稽古していくが、なかなか思うようにいかないものである。うまくいかない理由は無数にあるだろうが、そのひとつに、体軸が一軸でしっかりと遣われないということがあると考える。体軸を二軸、三軸でつかったり、または体軸がぶれてしまったりするのである。

例えば、体の裏(前側)を遣ってしまうと、背中が丸くなり体軸は歪んでしまい、ぶれることになる。

両脚に体重が同時に掛れば、体重は二本の足に分かれる。それに両足の真ん中にも体重が落ちるので軸は三本になってしまい、力は3つに分散してしまうことになる。これでは、大きい力は出せないことになる。それに、軸を一軸でつかわなければ、すばやい入り身や転換はできないし、体重を相手との接点である手先や胸や肩などに集中させて遣うこともできず、技が効きにくいことになる。

体軸を一軸にして遣うのは難しいかもしれないが、注意して体に覚え込ませていかなければならない。通常の歩法では、いわゆる西洋歩きになり、また二軸歩行になってしまうので、それから直していかなければならない。

まずは、西洋歩きを、いわゆる「ナンバ」歩きに直さなければならない。しかし、足と腰と肩が同時に着地する「ナンバ」歩法で歩もうとしても、思うようにはいかないものである。はじめは与太者がヨタルような歩きかたになったり、またはロボットが歩くようなぎこちない歩き方になってしまうので、すぐには技に遣えるものではない。恥を忍んで歩法の稽古をしていく他はない。

しかし、「ナンバ」で歩けるようになったからといって、すぐに一軸で歩けるものでもない。ナンバ歩きができるようになったら、次の稽古をするのがよいいだろう。

合気道で体軸を一軸で遣うキーワードは「撞木(しゅもく)」「網代(あじろ)」である。合気道で歩を進める際はこの撞木や網代で歩まなければならない。もちろん「ナンバ」の歩法で撞木に歩むのである。

撞木で歩を進めるということは、進めた足と残っている足のつま先の角度が約90度の十字になり、前足の踵の延長線が後ろ足の親指と踵を結んだ線上の真ん中に位置するのである。

また、前足が着地する際は踵から着地し、後ろ足が前に進むときは、腰が踵と一緒に進むので、踵が着地すると腰も一緒に着地し、踵の上に腰がのることになる。そこで体軸は着地側で一本になり、一軸になる。その一軸を他方に移動していくのである。

撞木で歩まず、足を平行して進めれば、軸が二本移動する二軸になってしまう。直立した場合も、足を平行にすれば、たとえ両足を揃えても一軸にはなり難いだろう。直立して一軸になるためにも、やはり両つま先の角度が約90度になる撞木で立たなければならない。踵が離れていても、両踵が交叉する延長線のところに腰が落ちることになるので一軸になる。

合気道の技は、「ナンバ」と撞木で体軸を一軸にして、一軸を左・右規則正しく交互に陰陽に遣って掛けていかなければならないのではないかと考える。