【第255回】合気の道

長年、合気道を稽古してくると、これまでいかに地に着いた稽古をしてこなかったかに気付いてくる。そのひとつが、合気道というものをやっているのに、よく考えてみると、「合気道」とは何か、また「合気」とは何か、「道」とは何かなどがよく分かっていないばかりか、真剣に研究したこともないことに気付く。

これまで真剣に「合気道」、「合気」、「道」を考えなかったのは、はじめはなんとなく分かったつもりでいたし、分かってないと気付いてから分かろうとしても、今度は難しそうなので後回しにしてきたのだろう。半世紀近くも稽古をしているのだから、そろそろこの辺で考えてみる必要があるだろう。しかし、「合気」と「合気道」はまだまだ分かりそうにないので、今回はとりあえず「道」に絞って、「道」から考えてみたいと思う。

「道」という語は、柔道、剣道、弓道、古武道などなど、武道の世界では頻繁につかわれているから、「道」には武道としての一般的な定義があるはずだ。例えば、「一つの物事を通じて、生き様や真理の追究を体現することや自己の精神の修練を行う事である」などと辞書には書かれている。武道には柔道、剣道、弓道などいろいろな武道があるが、武道には武道としての共通の目標があって、武道家は誰もが意識または無意識でそのような事を追求しているように思われる。

「道」を説いた中国の思想家である老子は、宇宙の原則を道といっている。また、中国の道教では、道とは宇宙と人生の根元的な不滅の真理を指すという。このようなことから、道は自然とか、老子がいう無為と同義であり、道は真理ということになるだろう。とすると、武道家の道も、この自然、真理の道ということにもなるだろう。

合気道も武道であるが、合気道をつくられた開祖の植芝盛平翁は、この宇宙の原則、原理の道を次のように説明されている。「道というのは、丁度、体内に血が巡っているように、神の大御心と全く一つになって離れず、大御心を実際に行じていくことをいうのである。神の大御心から少しでも離れたら、それは道にならない。」(合気真髄)

合気道は、道である。道は、宇宙の原則・原理の道である。宇宙の真理を見つけ、宇宙の法則に則って、進んでいかなければならないことになる。合気道の技は宇宙の法則に則っているので、技を真の技としてつかうためには、法則に則った体の遣い方からなる動きにならなければならない。

宇宙の法則に則らず、道にのらなかったり、道から外れたりすれば、行き詰ったり、違う方向に行ってしまい、真の追及が出来なくなる。道にのって行けば、少しづつであろうが徐々に目標に近づくし、新しい発見と感動が連続的にあるはずである。