【第25回】 稽古(古をみる)

初心者のうちは、どんな人でも、どんなやり方でも、稽古をすればするほど上達するものだ。しかし、これが稽古年数が増え、段が上がってくると上達を阻止する壁にぶち当たってしまう。それでも多くの人は、稽古をただ続けていればいつかこれまでのように上達すると思っているようだ。しかし、大体はそれほど変わらないようである。つまり、量的変化はあっても、質的変化がないということである。

試合のない合気道は十人十色の稽古をしている。基本的な最低限の動きを間違わなければ、これが正しい合気道で、あれが間違いということはない。
しかし、これをいいことに、好き勝手にやると進歩が止まってしまう。

稽古とは、「古(いにしえ)をみる」ことという。技をやるにあたって、その意味、その技ができた背景、先人はその技をどのように遣ったか、何故このような技の名前が付けられたのか、技のポイントは何か等などを考え、また、勉強しなければならない。

昔の武士も稽古をした。しかし、彼らは戦争のプロフェッショナルである故、子供のころから、基本の稽古、武士に必要なことを叩き込まれてきた。
現代の我々は、一般的に趣味や道楽で合気道の稽古をしている。お能や歌舞伎、茶道などの家元のように、幼少より始めているわけではなく、その間、皆それぞれ別のことをやってきている。そのやってきたことや考えることは、合気道の稽古に役立つこともあるが、往々にして上達を妨げる場合が多い。例えば、腕の力と働きの過信である。

開祖、師範、他の武道家、武術家etc.の言われたことや、書き伝えられたことなどと自分を照らし合わせながら、過信や錯覚を除き、誤った考えを正し、王道を進むために練磨することも大事な「稽古」であろう。
「古(いにしえ)をみる」稽古をしよう。