【第248回】 大先生のお言葉

私が合気道に入門したのは昭和36、7年だったが、大先生(開祖)もお元気でご活躍されていた。大先生はときどき道場に顔をお出しになり、技を示されたり、神楽舞をされたりされたが、合気道のお話もされた。しかし、技の説明をされたことはなかった。

お話に興がのると長くなり、正座している足がよく痺れたものだ。痺れに気がいっていたからではないが、大先生のお話は古事記にある神様の名前が頻繁にでてきたり、別次元での神秘的なお話で、ほとんど理解することができなかった。同輩はもちろん、先輩も理解出来なかったのは、お互いに見合わせる顔で明らかだった。

ありがたいことに、大先生がお話し下さったことの多くが、『武産合気』や『合気真髄』に書かれて残っている。これを読んでいると、部分々々ではあるが、当時ほとんど分からないままに聞き流していた大先生のお話が蘇ってきて、大先生の声と重なってくる。そして、大先生がお話になっているように聞こえてくる。

かつての大先生のお話と同じように、『武産合気』や『合気真髄』など以前はほとんど理解できなかったものが、半世紀近く稽古を続けて来ると少しずつ解読できるようになってくるものだ。無論まだまだ分からないことだらけである。

先述通り、これまで大先生のお話は理解はできなかったわけだが、不思議なことに多くの言葉が頭と耳に残っている。記憶力が弱い私が40年以前のことを覚えているのであるから、不思議である。

学校にも長年通って教師や教授の話を沢山きいたが、頭に残っている話や言葉は皆無である。なぜ、学校の先生の話は忘れて、大先生のお話や言葉は頭に残っているのだろうか。

一つは、『武産合気』や『合気真髄』を読んで、当時の大先生のお話とオーバーラップし、シンクロナイズし、自然に思い出されてくるのかもしれない。文字を見ていると、それを話された開祖の声まで聞こえて来るのである。

二つ目は、大先生の言葉が頭に刷り込まれたということである。常人とは異なる大先生の発する波動によるお話が、こちらの体に浸透したのではないだろうかと考える。特に極端な波動は、大先生の雷であった。道場中が震え、誰も顔を上げられないような強烈な波動で、忘れようにも忘れることができず、心体共に覚えている。

三つ目は、一般的に言われているように、一度、見たもの、聞いたものは体にインプットされてしまい、なくなることはないはずだからである。人は忘れたと思っているようだが、ただ、必要な時にそれを取り出せないので、忘れてしまったように思うのである。わたしの30歳頃の体験を通して、それまで経験したすべての事柄は、すべて頭の中のテープに録画されていて、命に関わる際などにそのテープが猛スピードで逆回転し、命を助けるべくデータを見つけようとするのではないかと確信している。

また、人が見聞きしたことのすべてはインプットされているという証拠は、催眠術にかけられると、自分の意識しないデータでもすべて記録保存されているということでもわかることである。(だから、学校の先生や教授のことばも、頭のどこかに保存されているのだろう。)

大先生のお言葉は体に入っているはずである。大先生の言葉を思い出し、『武産合気』や『合気真髄』の言葉とシンクロナイズさせながら、合気道をますます研究していきたいと思っている。