【第247回】 空の気・真空の気の考察

第65回「真空の気、空の気」第222回で「真空と真空の気」などで、空の気と真空の気について書いたが、まだまだ満足できるものではない。合気道ではどんなに理論が立派でも、その理論を技で表すことができなければ、不完全であるし、できたことにはならない。

しかしながら、開祖は道歌で、「真空と空のむすびのなかりせば合気の道は知るよしもなし」と言われているわけだから、この「真空の気と空の気」がわからなければ合気道にならないことになり、絶対に避けて通れない課題ということになる。それ故、この課題は引き続き研究しているものの、まだまだその途中であるが、今回は「空の気・真空の気の考察」という課題のその後の研究成果をまとめてみることにする。

合気道は神業を身につける道であるが、神業の重要な要素のひとつは早業であろう。時空を超越した速さであり、相手がどうして倒れたのかが分からないような摩訶不思議な早技である。

「真空の気、空の気」が技、とりわけ早技で使えるためには、まず、真空の気と空の気とはどういうものなのか知らなければならないが、有難いことに開祖はその説明を『合気道新聞』や『合気真髄』にして下さっているのでそれをまとめてみるのがいいだろう。

空の気とは、

真空の気とは、 次に、この「真空の気、空の気」をどう使えば早技に結びつけることができるのかということになるが、それも開祖は言って下さっている。つまり、この重い空の気を解脱し、真空の気に結べば技がでるといわれているのである。

究極的には重い空の気を解脱し、真空の気に結ぶわけだが、技とりわけ早技がでるためには、解脱するところの空の気を養成し、身につけ、それで体を遣う修練をしなければならないだろう。その修練によって引力が身に着き、引力の縄ができることになる。そしてこの引力を与える縄によって相手と結ぶことができるようになる。

相手と結び、相手を絡め取ったり、倒したりして技を掛けるわけだが、ここで重い空の気(引力)を解脱して、真空の気に結びつけてやれば、早技や軽快な技が遣えることになる。つまり、技を掛ける場合、真空の気ではなく、空の気でやればお互いが重く、くっついたまま固まってしまうことになる。

例えば、二教裏の小手回しで空の気だけでやれば、相手は痛いだろうが、真から参ったとは思わないはずである。これを空の気から真空の気に変えてやると、相手が痛くもないのにどうして倒されたのかわからないような早技になる。木剣や正面打ちで打ってくるのを、空の気で結んで相手を絡めてから、その空の気を消滅させ、真空の気を体に入れて入り身で入ったり、体を捌けば、早く動ける。

この時、相手は本当に打ったと思って、体勢が崩れるので、技が自由に遣えるようになる。かつて本部の有川師範は、「気を消す」ということを言われていたが、これに関係があると思う。

また、当て身や突きの場合、空の気でやれば拳に伸びはないが、真空の気と結ぶことによって、伸びのある当身や突きになる。剣を振るのも同じだろう。

空の気の重さや引力を感じるのは、それほど難しくないが、真空の気を感じるのは難しいようだ。しかし、二教裏や太刀捌きなどを稽古していくうちに、それを感じることができるようになるように思う。

真空の気を感じるめには、心身を空っぽにする(気を消す)ことかもしれない。そうすると、まず技は空の気の引力で相手と結び、結んだら今度はその空の気を忘れて、心身を空っぽにすれば、真空の気と結び、技になるのではないだろうか。更なる研究が必要である。

参考文献:
『合気道新聞3号』
『合気真髄』